掃除で人生は激変します。イエローハットの鍵山秀三郎さんは「掃除」で社員の心を掴み、今や世界中のトイレ掃除や街の掃除をして、そこから学ぶ「心磨き」を講演するようになった人物です。
鍵山秀三郎さんは自動車部品を販売する仕事場が乱雑で、しかも働いている人も粗野な人ばかりで、この環境を変えたいと思い、自分に出来る事は掃除しか無いと考えて掃除を始めています。
そんなイエローハットの鍵山秀三郎の名言と、掃除から生まれた凡事徹底について紹介します。
凡事徹底は、才能や能力が特別に無くても、自分に出来る事をコツコツと続けることで、大きく運命は開けていくのだと知ることが出来ます。自分で決めたなら、それを信念にして続ける事。これは仕事や副業などビジネスにも重要な事です。
鍵山秀三郎の経歴
1933年、昭和8年8月18日に東京都千代田区神田に、父孝三郎と母のかなゑの元に三男二女の末っ子として生まれました。
1952年、昭和27年に疎開先の岐阜県の県立東濃高等学校を卒業し、中学校の代用教員を一時期しています。
1953年、昭和28年20歳の時に東京に戻ってきますが、その頃の日本は朝鮮動乱の後で、とても不景気で新聞の求職欄にはほとんどが新聞配達か牛乳配達でした。
そこにたまたま「カー用品」と書いてあったのですぐ応募して、住み込みで働くことになりました。それが自動車用品を販売する始まりとなりました。
鍵山秀三郎「掃除なら自分にもできる」
当時のカー用品の販売もそうですが、自動車業界全体が販売も含めて修理でも、部品の販売でも全てが粗暴で、粗野の一言という世界でした。
言葉遣いから態度、表情にいたるまで、本当に荒れ切ったと言っていい業界でした。
でも、他に職を探して選ぶなどということは贅沢で、そんなことを言っていられませんでした。
入ったからにはこの会社を良くしたいと考えました。
でも自分に出来ることは、この汚い会社を綺麗にすることしか無いと思いました。
「掃除なら自分にも出来る。」商売の事はまだ分かりませんでしたが、汚れた会社を綺麗にすることなら自分にも出来ると思ったのです。
それで、7人住み込みがいたのですが、誰よりも早く起きて一人でコツコツと掃除をしました。
先輩には「余計な事はやめろ」と随分いじめらました。
でも鍵山秀三郎は何を言われても、何をされても先輩に逆らったり、口答えをしたりは一切しませんでした。
ただだまってそれを聞くだけで、自分で決めた掃除は止めませんでした。
鍵山秀三郎が掃除を続けたら客層が変わった
掃除を3年続け4年目に入った時に、とうとう鍵山秀三郎のやって来た掃除を社長一族が認めてくれたのです。
鍵山秀三郎の入社したころは修理工場の職人のような油だらけの方ばかりが店にやって来ていました。
しかし、店が綺麗になって行くと、映画俳優の森繁久彌さんや三船敏郎さんとか、美空ひばりさんディック・ミネさん藤山一郎さんなどの有名な歌手の方、プロレスの力道山なんかも来てくれるようになっていたわけです。
別にそういう有名人に案内した訳ではないのです。店を綺麗にしたら、有名人が勝手にいらっしゃるようになったのです。
そうなると経営者からも、「綺麗にすることは非常に意義がある」ということを認められました。鍵山秀三郎は経営者から高い評価を受け、大事に扱われるようになりました。
鍵山秀三郎は自分の思っているように仕事ができても来ましたし、待遇も良くなり、一生をこの会社に捧げても良いとも思いました。
ですが、残念ながら業界全体では悪い習慣だらけだったのです。
たとえばですが、雪が降るとタイヤチェーンの値段を普段の10倍とか20倍とかに上げるのです。
それでも、チェーンが無いと困る人は買う訳です。日本中がそうでした。
でも、鍵山秀三郎は会社の社長に「うちはそういうことは止めましょう」と言っても、「みんなやっている事だから」と止めることはありませんでした。
「商売とは儲かる時に儲けないと」というのがカー用品業界の考え方でした。
他にも理由はありましたが、その悪い習慣を変えるには鍵山秀三郎が独立して、自分が変えて行くことしかないと考えたのです。
鍵山秀三郎は自転車一台で独立
高い給料にボーナス、それに自家用車にも乗れたし、待遇に不満は無かったのですが、自分が変えていくという使命感で昭和36年10月28歳の時に自転車1台の行商から起業を始めました。
ですが、最初から大変でした。鍵山秀三郎の扱いたい商品は誰も売ってくれませんでしたし、もちろん売り先もありませんでした。
ですから、そんな中でどこにも売れなくて困っている商品を「これを私が売りましょう」と自転車に積んで1件1件回りました。
苦労しましたが、売れるようになっていきました。
商品にはそれぞれ命があって、放っておくと居眠りしたり死んでしまったりします。
それらに命を吹き込み目覚めさせることで、その商品は売れるのです。
確かに、良い商品でもその説明が悪かったりして、お客様の目に留まらなくて売れなかったものでも、お客様の目に留まり手に取るようにしてあげれば良いものは売れるものです。
その中の一つに、55年経つ今も売れ続けている商品があります。
それは自動車のハンドルカバーです。
京都の方が作っているのですが、誰も扱おうとしなかった物を「私が売ります」と鍵山秀三郎が引き受けて、最初は数本でしたがそのうちヒットしてとても売れるようになりました。
そうするとよその会社もその商品を取り扱いたいと申し出てくるのですが、鍵山さんだけと独占して販売させてもらっていました。
仕入れなど、ほとんどが売れないで困っている物を売ってきました。そうやって少しづつ、周りの人の心の扉を開いて行きました。
鍵山秀三郎 従業員の心を穏やかにしたい
地道な努力によって会社は少しずつ大きくなっていきました。しかし、当時は高度成長期でしたから、零細企業の鍵山秀三郎の会社に新卒の人なんて来てくれません。
人手不足が深刻でこの業界に入ってくる人はあちこちの会社を渡り歩く渡り鳥のような人が多く、荒れた者が多かったのです。
そういう人はあちこちで辛酸を舐めて苦労しているので、物凄く心が荒れているのです。ですから、この人たちの心を穏やかにしたいというのが、鍵山秀三郎の大きな課題でした。
そのころの鍵山秀三郎は口下手で、旨く言葉では伝えられなかったので、とりあえず、働く環境をきれいにして、心を穏やかにしてもらうしかないということで掃除を始めたのです。
自社だけでなく、お客様の店舗やトイレまで掃除しました。その頃のカー用品関係のお店は汚かったのです。
でも、そういったことは最初はまったく評価されませんでした。逆にそれがきっかけで取引がなくなった会社もあったのです。
でも、鍵山秀三郎は続けました。社内での反発もあり、私との認識の差が縮まるのに相当の年数が掛かりましたと言います。
12年ほど続けたある日、社員が自主的に掃除をしてくれるようになったのです。鍵山秀三郎が命令したわけでもなく、規則で決めたわけでもありません。
そして、その後掃除をする人が少しづつ増えて行きました。
さらに10年経った時には、ほとんどの社員が朝早くに車を洗ったり、近隣の道路を掃除するようになり、それが話題になってテレビでも取り上げられるようになったのです。
掃除により、社風が良くなりました。会社には職務規定や就業規則もありますが、それらをしっかり読む人はいませんが、社風が良いとみんなも良い行動をしていくようになり、お客様の信頼も高まるのです。
人間というものは、一度良い事をすると次々と良い事ができる。反対に一度悪い事をしてしまうと、次々と悪い事に手を染めてしまうものです。
「イチから千までの距離よりも、ゼロからイチへの距離は遠い」とユダヤの言葉にもあるように、掃除はゼロからイチに持ってくるのにとても良い手段だと思います。
鍵山秀三郎 卸売りから小売りへと業態転換
そんな鍵山秀三郎がなぜ卸売りから小売りへ業態を転換したかというと、取引企業の経営姿勢に共感できなかったからというのが理由となります。
「条件に応じなければ取引を停止する」と取引条件の変更を強制的に応じさせるというやり方に嫌気が指し、ショッピングセンターの取引を鍵山秀三郎の一存で切ってしまいました。
その時はショッピングセンターの取引きは総売り上げの6割にも達していたので、会社は傾き、借金は膨らみました。
起死回生の手段なんか無いので、なにしろ残っている4割のお客様になんとか支払いを早くしてもらえるようにお願いして回りました。
ただし、社員には悟られないようにです。社員が苦しい内情を知ってしまうと、動揺してメーカーさんに堂々としてられなくなるからです。
でも、その時の取引停止の決断は正しかったと言えるでしょう。1997年には東証一部に上場。配当金や株主優待もある優良会社です。
1998年には経営の第一線から退き、事業継承を鮮やかに果たし、NPO法人の「日本を美しくする会」の相談役として、清掃活動と講演で日本全国や海外にまで足を延ばしています。
鍵山秀三郎の凡事徹底とは
理想の会社像を追求したからこそ、今のイエローハットがあります。
売り上げや利益の追求だけだったらとっくに潰れていたでしょう。
誰にでも出来る平凡な事を、誰にもできないくらい徹底して続けました。
これが多くの人間にはなかなか出来ません。
鍵山秀三郎の名言
鍵山秀三郎の名言をいくつか紹介します。
・十年続ければ偉大なり、二十年続ければおそるべし、三十年続ければ歴史になる。
・微差、僅差の積み重ねがやがて大差となるのです。
・足元のゴミ一つ拾えない人間にいったい何が出来るのでしょう?
一つや二つ拾ったってしょうがないと言う人もいますが、一つでも二つでも拾えばそれだけ世の中が綺麗になるのです。
・才能も能力も持ち合わせていませんでしたから、誰にでも出来る事を、誰にもできないくらい一生懸命やったのです。
・倒産した企業で、未だかつてきれいに片づけられ、整然と掃除が行き届いていたという会社なんてありません。
・世の中には特別なことなんて無いのです。無いものを探しているうちに一生が終わってしまいます。
でも、平凡なことならいくらでもあるのです。逆に平凡の中に埋もれていたからこそ、大きな非凡に気付くことができました。
・人が見捨てるようなことでも、紙一枚の厚さでも積み上げることが大事です。それは確実に積みあがって高くなっていくのです。
・心は取り出して磨くことは出来ません。その心を磨くにはとりあえず目の前に見える物を磨いて綺麗にすること。特に人の嫌がるトイレを掃除してきれいにすると心も美しくなるのです。
・継続させるには、たえず工夫して改善して進歩させることが大事。
・人は、いつも見ているものに心も似てきてしまいます。
だから、いつも見るものを綺麗にしておくことが大事なのです。
・人間はやることが義務ではないことを、どれだけ行うことが出来るかは、人格に比例しているのです。
・もともと世の中には「雑用」などとというものなどはないのです。
雑な心でするから雑用になってしまうのです。
・根を養えば、木は自ずから育つ。
・まず自分が大事で自分を守ろうという姿勢でいたら、人は動いてくれないものです。
自分を投げ出して自分本位を捨てたときに始めて、人が動いてくれるようになるのです。
・人を大切にするということは、すなわち人に喜びを与える事である。
鍵山秀三郎まとめ
率直な感想ですが、こんな人の動かしかたもあるのですね。鍵山秀三郎の掃除という凡事徹底に影響され、周りが勝手に共感していくという。
名言の中にもありましたが、義務でやらなくても良い事をどれだけ出来るかと人格が比例するとありますが、人の心を動かすほどにやるには、それだけの覚悟がないとダメですね。
鍵山秀三郎は、はじめから結果を求めずただひたむきに行っていました。仕事や副業、ビジネスをするにも、結果に一喜一憂せず、誠心誠意取り組むことが大事なのだと思います。
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