有名人の名言

ミスター富士ゼロックス小林陽太郎の生い立ちと理念!ガバナンスの大切さ

小林陽太郎(こばやし ようたろう)

富士ゼロックスの2代目社長です。

社長に就任した当時、売上高は1000億円程度でしたが、それを1兆円を突破する規模にまで拡大させたその素地をつくりあげた功績から小林は「ミスター・富士ゼロックス」と呼ばれているのです。

小林陽太郎が考える良い会社とは「強くて、優しくて、そしておもしろい」で、小林陽太郎はそんなことを語る人です。

そんな小林陽太郎氏の下で自由な風土が育った富士ゼロックスですが、2018年には大規模なリストラが行われ、構造改革をされているようです。

いったい富士ゼロックスに何が起きているのでしょうか?

小林陽太郎氏の名言を通して、彼の理念はどうなったのかを探ってみました。

富士ゼロックスの今

2018年1月、富士フイルムHDは国内外において1万人を削減して富士ゼロックスの構造改革に乗り出すと発表しました。

この構造改革の費用がかさみ、営業利益は2018年に前年の6分の1にもおちました。

2019年には富士ゼロックスを富士フイルムHDの100%完全子会社とし、構造改革の成果が出て、大きな営業利益を出してはいます。

ですが、問題があります。いままでは富士ゼロックスで働いている人の満足度は非常に高かったのです。

社員が「心配になるほど素晴らしい」という福利厚生と給与でした。

しっかり働かなくても給与が貰えてしまうという体質だったようなのです。

今後はそうも言ってられないでしょう。

構造改革によって、給与を含め福利厚生も大きく変わるでしょう。

もっとも、自由な風土は良いのですが、社内に危機感が無く、殿様経営と言われ、新しいことが何も出てこない体質だったとか、よく言われていますから多少の痛みはしょうがないかもしれません。

「脱複写機」と長年うたっていますが、結果的には何も進んでいなかったようです。

そこで、営業体制と開発体制の再編や生産拠点の統廃合、製品構成の見直しなどを推し進めての構造改革でした。

初代社長・会長の小林節太郎と小林陽太郎があまりにも凄い経営者だったので、後の経営者は自由な風土にメスを入れるのも大変だったことでしょう。

富士ゼロックスの今後

管理を強化して利益を生む体質になったと言う富士ゼロックスなのですが、自由な風土の社風が失われることによって、優秀な人材流出も懸念されます。

それに、現実問題として複合機やその消耗品の市場は、ペーパーレス化の進展で大きな成長を見込めることはもはやありえません。

それでも「富士ゼロックスは今後大きく成長できる」と古森会長は断言しています。

すでに各事務機メーカーが、ソフトウエアやサービスを組み合わせて、オフィス全体の効率化に取り組んでいます。

そんな中、想定通りに富士ゼロックスを成長させられるか、管理強化による好業績だけでは不安を感じないではいられません。

小林陽太郎の名言

日本経済新聞 元経済同友会代表幹事 小林陽太郎氏死去

・経営者は「最終的な責任は、全て最高経営責任者にある」という気概を見せることが大切。

・企業のあるべき姿は利益を上げることだけではない。企業の活動そのものが社会に貢献しているとなることだ。

・視野を拡げて、思索を重ねることによって、確たる価値観を持って対話できるというリーダーを育てたい。そのために古典から学ぶことも必要です。常に「何のために」という原点に立ち返ることができて、自ら判断して行動できる人間になってもらいたい。

・良い会社の条件「強くて、優しくて、そしておもしろい」

・「モーレツからビューティフルへ」

この言葉は、戦後勢いだけで進んできた経済や社会への警鐘の意味もあるようです。

・新しいものを生み出すには、常に探求し続けることが大事です。そのためには、人の話を謙虚に聞くこと。他人のアイデアを素直に認め、新しいアイデアに対して寛容であること。そこから創造性が生まれるのです。

・面白い人がいろんな局面を持っているのです。これからは面白さを生かした人が出てくることが日本にとって非常に大切。世界だってそういう日本人を必要としているのです。

・会社が優れた人材をそこに留められるかどうかは、自己実現の場として企業が他の場よりも優れているということを打ち出せるか打ち出せないかにかかっています。

・会社は働く人を幸せにしなくてはならない

・いつの間にかアメリカも含めて近代社会というものは狭い専門分野について優れた専門家をたくさん作りだしたのですが、自分の専門分野を超えると全然話ができない人ばっかりが増えています。
こういう教養の無い専門家によってろう断される社会というものはとても恐ろしい。

これではいけない。だから古典とか原点に戻ってそういうものを勉強して、そういう問題意識と現在の問題と繋ぎ合わせながらお互い対話しなければならない。

・企業の人材教育で最も注力すべき要件として、私が何よりも重視しているのは、各企業に固有のものである「カルチャー」の伝承です。

競争力の源泉であり、競合相手と差別化するための最も明確なポイントでもあります。人材教育も最終的にはこうした企業風土や精神といったカルチャーに行き着く。

各企業に固有のものとして技術力も挙げられるとは思いますが、技術は日進月歩で入れ替わるもの。他社がまねることも可能です。しかし、歳月をかけて培ったカルチャーだけは簡単にまねできるものではありません。

今、これら小林陽太郎氏の理念はどこに行ってしまったのでしょう。

小林陽太郎が20年前に訴えたある必要性

小林陽太郎氏は、日本が変革の時が来ていて変わらなければならない必要性を、強く感じていました。

戦後の日本は、復興や高度成長という大きな目標がありましたから、あえて「何故?」を考えなくても良かったのかも知れないですが。

目標を掲げて、目標を達成するための方法というものが重要とされてきました。

確かにその方法で、戦後の復興は見事なまでに成し遂げられました。

ですから、日本人は問題解決に対しての能力は世界に類を見ないほど優れたものになりました。

ですが、「解決すべき本来の問題は何?」を見抜く力を失ってしまったのではないかと小林陽太郎氏は語っています。

「何故こうなったのか?」の本質を考えないまま、目先だけの解決をして来た結果、またしばらくすると同じような問題が出てきてしまう。

それには、10年、20年先を視野に入れて、新しい日本を支えるアイデンティティーや哲学それに理念、価値などを一回整理・確立することが必要だと、小林陽太郎氏は考えました。

そしてその上で、「四つのガバナンス」について考えるべきなのだと小林陽太郎氏は訴えています。

1、「企業のガバナンス

一つ目は企業のガバナンスです。企業は、社会からの信頼と社会から求められる色々なニーズに応えることなしに、その規模を長く維持することはできない。

2、「社会のガバナンス」

二つ目は社会のガバナンスです。かつての成長を支えた政・官・業の「鉄の三角形」に足して、「市民が主役の社会」つまり「民」をつくり、「四角形」で社会を運営していく仕組みに変える。

3、「世界のガバナンス」

三つ目は世界のガバナンスです。日米欧の3極ではなく、日米中の関係を含めた日本とアジアとの関係を再定義しなければならない。それを踏まえた日米関係・日欧関係を再考していく。

4、「個人のガバナンス」。

四つ目は個人のガバナンスです。一人一人の個性や生きる力です。問題探求能力を育んで、コミュニケーション能力を高めるという教育の在り方を考えていく。

いかがでしょうか?この「四つのガバナンス」というもの。

その提言から20年たった今も、これらは日本が抱える大きな課題として残っています。

この4つのどれもが、現代社会で大きな課題となっています。

「企業のガバナンス」

一つ目の、「企業のガバナンス」では、「社会からの信頼と社会から求められる色々なニーズに応えることなしに」とありますが、企業の不正処理や数値改ざんなどのニュースは後をたちません。

それにニーズに応えるというのも確かに今は難しい世の中です。

多種多様であり、ニーズが何かが見抜けない世の中だと言ってしまえばそれまでですが、企業はほんとうにニーズを知りたいという姿勢でことにあたれているのでしょうか?

企業のサイト一つとっても、モンスターな消費者の苦情を排除したいという姿勢ばかり見え見えで、お客様の要望を聞き入れる姿勢は感じられないとは思いませんか?

電話をしても機械的な音声。

下手をすると、企業の電話番号などどこを探しても出てこないというのもあります。

「社会のガバナンス」

二つ目の「社会のガバナンス」の市民が主役の社会づくりにしても、情報すら満足に流れないし収集も出来ない世の中です。

ましてや高齢の方などは益々取り残されてしまう世の中になっています。

情報の格差なども含めて、個人の努力に頼るしかない昨今となっています。

「世界のガバナンス」

三つ目の「世界のガバナンス」でも、アメリカ自体が今、病んでいて、一部の巨大企業は伸びていますが、格差社会が広がっています。

中国も一部の企業が巨大化していますが、つねに国家間の問題が絡み、外交下手といわれている日本は常に振り回されています。

その他、韓国との問題も最近やっと日本の姿勢が決まった程度です。

ヨーロッパは、今多くの問題が絡み過ぎて難民問題など、日本が口を挟まない問題を外しては発言力もありません。

「個人のガバナンス」

四つ目の「個人のガバナンス」では、まずコミュニケーション能力ですが、最近企業ではコミュニケーション能力をなによりも重視しているところもあるようです。

それは人間間の問題を恐れるあまりの姿勢ということだと思うのですが、それで企業は伸びるのでしょうか?

教育が一番大きな問題のようですが、ゆとり世代だけの問題ではなく、夫婦で共働きをしながら、子供を育てているという家庭がほとんどの世の中です。

家族間でも充分にコミュニケーションがとれないまま学校に行かせるのですから、学校に対する期待も要望も高まります。

なんとも課題解決の糸口が見えてこない昨今で、自分達の先行きの道を見失ってしまいそうです。

小林陽太郎の生い立ち

1933年4月25日~2015年9月5日

富士ゼロックスの初代社長である小林節太郎の子供として生まれました。

幼稚舎から始まって大学まで慶応の生粋の慶応ボーイです。

慶応義塾大学経済学部を卒業後、アメリカに渡りペンシルベニア大学ウォートン・スクールを修了しMBA(経営学修士)を取得しています。

1958年に富士写真フィルムに入社し、1963年に富士ゼロックスに移っています。

1968年に取締役となり、1978年に社長就任。

経歴もバリバリのエリートで、見た目も女優の故有馬稲子に俳優になるように勧められるほどの男前です。

俳優の話は、父親の小林節太郎氏が断っています。

2015年9月5日に82歳で逝去。

小林陽太郎のまとめ

経歴はエリートそのもの。

見た目も男前で、言う事も正統派ですから「理想論」を語っている苦労をしらない男とも捉えられてしまいます。

ですが、実際売上げを1000億円から1兆円にした実績があって、周りから経営者としての手腕を認められていた人です。

1978年に「市場主義だけで新しい時代の日本を築けるのでしょうか」と、経営者らしからぬ問題提起をして注目を浴びました。

その頃は利益追求の時代でしたから、新しい日本のことなど考える人は少なかったのです。

行き過ぎの経済主義に疑問を感じ、常に市場主義には否定的な姿勢を貫きました。

市場主義でなくても、正しく経営すれば1000億円の売上げを1兆円にすることができるということの証明ともいえます。

小林陽太郎氏が危惧していた問題は解決されないまま、今の日本経済の中で、富士ゼロックスの未来も心配で目を離せません。

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