サイボウズの青野慶久氏といえば、「イクメン」を推奨したり、選択的夫婦別姓の裁判を起こしたりとなにかと話題に上る人です。
青野慶久氏は高須賀宣氏や畑慎也氏と共に創業者の一人で初代社長の高須賀宣氏に続き2代目社長です。
青野慶久氏の考える働き方改革で離職率が高かった28%から4%にまで下げることに成功しました。
サイボウズはスケジュールを共有できるソフト、いわゆるグループウェアを手掛ける東証一部上場の会社です。
青野慶久氏の名言や経歴から「働き方改革」「夫婦別姓の理由」「今後のサイボウズ」などについて紹介します。
青野慶久の名言
ブラック企業脱却のヒントが込められています。
・我慢なんか美徳でもなんでもない。わがままになりなさい。
・「頑張る」というのと「真剣にやる」のとはまったく違う。命がけでやるという覚悟をもって挑むことが「真剣にやる」ということ。
・会社側が「そんなのわがままだ」と言ってしまったら、人の多様性は失われる。
・会社の組織は石垣だ、同じ形の石を積み上げるより、いろんな形の石を積み上げた方が強い。人の長所を上手く積み上げれば組織も強くなる。
・働き方は「多様で柔軟性の高い」方へシフトするべき。今までの均一で単一で一律的からは脱却するべき。
・100人いたら100通りの人事制度があっていい。
青野慶久の経歴
青野慶久は、戸籍上は西端慶久といいます。婚姻時に結婚した奥様の姓を選んだのです。
1971年6月26日に愛媛県今治市に生まれました。
大阪大学工学部を卒業後、松下電工へ入社し、社内の情報システム管理の仕事に就いたのですが、そこでイントラネット用の社内でインターネットの技術を使ったソフトを見て衝撃を受けます。
イントラネットとは組織内でのプライベートネットワークのことですが、このシステムは将来商売になると思い、もっと積極的にコンピューターを使った仕事に携わりたい実感します。
そこで、社内ベンチャー制度を利用して、システムインテグレーションの会社の立ち上げに参加しました。
でも、業務内容は依頼を受けたシステムを作るのがメインで、自分たちが考えたパッケージソフトを扱えるわけではありません。
そこで、パッケージソフトの開発が出来るように会社に申請しましたが、新事業に対して会社からの理解を得ることができず、止む無く辞職して起業という選択をとりました。
アメリカのベンチャーブームを見てての憧れもあり、怖いもの知らずでしたが、もちろん勝算もありました。
情報共有のソフトが求められていた時代に入っていましたから、Webを利用してのグループソフトのパッケージソフトは、利用者がソフトをインストールする手間も無いしこれからは絶対に主流になると思いました。
青野慶久氏は、松下時代に知り合った高須賀宣氏や、大学時代に知り合った畑慎也氏とに声を掛けて、3人で起業することにしたのです。
資金もないのでとにかくお金が掛からないようにと、高須賀氏の出身地である愛媛県松山市の2DKのマンションから始めました。
家賃は7万円。
しかもその一室には畑氏も住んで、開発を担当し、青野慶久氏は営業担当になって高須賀氏は3人のまとめ役。
1997年8月に登記して、10月にはもうソフトを販売し、12月には黒字。
青野慶久氏は前職が松下電工で部門の情報担当者でした。
普段の業務での困っていたこととか、欲しかったものがよく分かっていましたし、金額もこの金額なら買ってもらえるというのも分かっていました。
「便利で簡単で安い」を追求できたことが成功の秘訣でした。
2000年には東証マザーズ、2002年には東証二部、2006年には東証一部と順調に目標を果たして行ったように見えます。
ですが、青野慶久氏が2代目の社長に就任した2005年頃、積極的にM&Aを行って一気に事業を拡大させようとしたのですが、その買収した会社が赤字を出してしまい、売上げは120億円にまで拡大していたのに、逆に利益が落ちてしまいました。
それで9社のうち8社を売却する羽目になったのです。
離職率28%からの働き方改革
社内環境もブラックそのもので、なにしろがむしゃらに働けという状態でしたから、離職率も28%。
2005年にストックオプション制度(株式をあらかじめ決められた価格で購入できる権利)を導入していたのですが、それだと株価が上がった時に安く購入できるのですが、その安く購入した株を株価が高い時に売却して、会社を辞めてしまうということが懸念されました。
それで「従業員持ち株制度」に変更して、これは長く持っていると無理なく資産形成が出来るので、従業員に長く働いてもらうには有効です。
また、離職の原因を探りたくて社員から意見を聞いて回りました。
すると、残業が嫌な人、在宅で働きたい人、副業をしたい人、プライベートを充実したい人などなど多種多様な訳です。
この希望を叶えてあげればみんな辞めなくなる。
そう思って、その意見を取り入れたら、みんなが活き活きと働くようになりました。
また育児休暇制度の見直しで、最大6年間も取れるようにしました。
長く社員に働いてもらうための方策です。
青野慶久氏自らも育児休暇を取得したことで話題を集めました。
社長自ら取ったので話題にはなりましたが、期間は2週間ですから短いですね。
でも、この制度で今でも毎週水曜日は休みにしています。
青野慶久氏曰く、自分はハードワーカーで、出来ることなら職場で死にたいと考えるぐらいなので、この程度の育児休暇を自分で取るのも実は大変だったとか。
でも、青野慶久氏が考える職場とは、仕事を優先して働く人や、家庭を優先して働く人も、価値観は色々で多種多様でそれを受け入れるというものです。
働く人ばかりだと子供は増えませんから、次の世代を作ることにも責任があります。
次の世代を作るということは、将来のユーザーを作るという事でもあります。
これからは育児を優先できる会社が生き残ると青野慶久氏は考えています。
ちなみにサイボウズでは社内結婚がとても多い。
結婚してもそのまま仕事を続けやすい環境にあるということもメリットですね。
青野慶久、夫婦別姓の理由とまとめ
青野慶久氏は、結婚時に奥さんが「名前を変えたくない」というので「えっ、そうなの?じゃあ僕が変えるよ」と妻の姓を選択して、西端となったのです。
ですが、仕事では旧姓の青野を通称として使用しています。
仕事をしていると今まで使っていた名前の方が混乱しないからです。
ですが、社長になると公式書類が多くなりどうしても戸籍上の名前を書かなくてはならなくなります。
日本人同士の結婚では夫婦の別姓が認められていないので、「法の下の平等」という憲法に違反していると日本国政府を提訴しています。
そもそも、青野の姓を使っていて、海外出張の折りには青野の姓で予約でもしてしまうともう面倒な結果となります。
自分が青野だという証明の為に、昔のパスポートと今のパスポートとの両方を携帯したりしていました。
それで、以前は女性差別から訴訟が起きていた、夫婦別姓を違う焦点の「法の下の平等」という憲法から再び夫婦別性の合法化を求めたのです。
そして、青野慶久氏はこの会見をニューヨークで行ったのです。
それは夫婦別姓が当たり前のアメリカで行うことで、いかに日本が遅れているかということを知ってもらうためだそうです。
結果は敗訴となって、また控訴するとのことですが、この「憲法の穴」からの切込みは簡単には行かないようですね。
今後のサイボウズですが、2019年はアメリカの事業を拡大していく方針のようですから、成功すれば桁外れに業績拡大するでしょう。
現在アメリカでの従業員数は38人。
日本と同じ人事成果制度を用いるようになって50%の離職率を10%に減少も出来たと言います。
運輸のネットワーク企業のLyftが導入を決定して大量導入の事例も出来ました。
すでにアジアには中国て1000社が導入していて、タイにインドネシアにシンガポールなどにも進出していて、インドやマレーシアにも拡大予定です。
こうなると、さらにアメリカでの結果が楽しみです。
青野慶久氏はアメリカでの成功の確率は甘くないと見ていますが、世界を取っていきたいのなら、アメリカの攻略は必須ですから生き残りを賭けて挑むしか無いと思います。
アメリカでITに挑むなんて無謀なのかも知れませんが、無謀だからと挑戦しなければ、限界が見えてしまいます。
2018年度の決算も増収増益でしたから、クラウドサービスの成功も大きかったようですし、グループウェアもまだまだ日本ではこれから普及していくような状態です。
将来的なことを考え、育児を優先する会社が生き残るという方針は、今のところは有望なのではないかと思います。
夫婦別姓については賛否あると思いますが、理想を語ったり、口で言ったりするだけでなく、社員に長く働いてもらえるよう最大限努力したり、パートナーの意見を尊重したりという姿勢は共感出来ますね。
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