鈴木敏文はカリスマ経営者で「小売りの神様」と言われ、ビジネスに役立つ名言を伝え、セブンイレブンの絶対権力者でもありました。そんな鈴木敏文氏がセブンイレブンを退任しました。セブンイレブンの今後はどうなってしまうのか。
セブンイレブンを最強のコンビニエンスストアにした鈴木敏文の経歴や名言と、鈴木敏文がセブンイレブンを辞める原因の一つだったのではないか、と言われる息子の事も合わせて紹介します。
鈴木敏文の経歴
1932年12月1日生まれで、長野県埴科郡坂城町出身です。
長野県小県蚕業高等学校(現 長野県上田東高等学校)卒業後、中央大学経済学部卒業。
1956年に東京出版販売(現 トーハン)に入社。
1963年 イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏に乞われ、株式会社イトーヨーカ堂に入社しました。
1971年 イトーヨーカ堂取締役就任
鈴木敏文氏は最初はまったく流通業界には興味がありませんでした。
番組制作のプロダクションを立ち上げたくて、ヨーカ堂にスポンサーになってもらいたくて、トーハンを辞めて一時的に手伝いのつもりで入社したのです。
でも、いざ入ってみたら全然話が違う、それですぐに辞めようと思ったのですが、トーハンを辞める時にも周りからとても反対されましたから、「だから言っただろ。それ見たことか」と言われるのが悔しくて居ついてしまったのです。
それに、自分の発想を活かせる場所でもありました。
それで、やりがいを見出すようになり、これ以上のやりがいがあるなら転職を考えてもいいが、もっと今の仕事でいろいろと挑戦してみようと思うようになったのでした。
鈴木敏文のセブン・イレブン創業 意外な理由
セブン・イレブンを始めるきっかけは、ヨーカ堂の大型店進出への商店街の反対運動に端を発します。
鈴木敏文氏は地元の商店街との話し合いにおいても、ただ進出を拒まれるだけで、商店街がみずから改革をしていくという発想がありませんでした。
それで、代替案を色々と探すうちに、アメリカに視察に行き、小型店でも効率よく経営しているコンビニエンスストアのセブン・イレブンに出会うのです。
そして、小型商店に対する代替案としてコンビニエンスストアの経営を提案したのです。
1973年にアメリカの「サウスランド社」と提携し、株式会社ヨークセブン(後の株式会社セブン・イレブン・ジャパン)を設立し、日本初のコンビニ「セブン・イレブン」を立ち上げました。
当時は、ヨーカ堂が次々と大型店を出している時で、コンビニエンスストアという業態も時期尚早だと言う専門家の意見も多く、周りからは大反対されますが、一存で押し切ります。
中小の小売店の経営方法を近代化させれば、必ず大型店と共存共栄は可能だと考えたからです。
ですからアメリカの店長になる人間を雇って経営する方法とは違い、日本のセブン・イレブンは小売店の効率化を良くすることが狙いでしたから、酒屋などの小売店を中心にしてそこの店主を店長にしていきました。
それによって酒類も販売できるコンビニは成功するための重要な要素でした。
ドミナント戦略で流通の確保
一定の地域に集中して出店することで、専用の工場や配送センターからの流通が効率よく行えて、コストも下がるわけです。
もちろん、一件セブン・イレブンを出店させると、その周囲に一定距離離れていないと、セブン・イレブンを出せないようにするなどのルールを設けて、共倒れを防ぎながら、人口や家族の分布の調査して集中して市や街に出店していきました。
POSシステム導入で膨大なデータ活用
1983年には全店にPOSシステム(販売時点情報管理システム)が導入され、レジの打ち間違いなどの防止にもなりましたが、各店のレジから上がってくる膨大なデータをマーケティングに役立てて、戦略に使用する世界初の試みでした。
セブン銀行の設立は革新的
2001年に株式会社アイワイバンク銀行(後の株式会社セブン銀行)の設立しました。
これも店舗が無いATMの機械だけの銀行で、「素人が銀行をやるなんて」という周りの反対を押し切って進めました。
セブン・イレブンはすでに公共料金の収納代行を1980年から行っていたので、夜間でも日曜でもお金が下ろせれば収納代行がもっと進むだろうし、お客様もたすかるだろうという発想です。
今では、コンビニでお金を下すのは当たり前ですが、これも鈴木敏文氏が最初に考えたことだったんですね。
鈴木敏文のセブン・イレブンがヨーカ堂を牽引
今では、セブン・イレブンは国内店舗数2万店、売上げ10兆円を超える国内屈指の小売企業になり、1991年には米サウスランド社の経営権を取得していて、海外での展開も好調に売り上げを伸ばしています。
赤字続きのイトーヨーカ堂を牽引している形となっています。
2005年に株式会社セブン&アイ・ホールディングスの会長兼CEOとなり、2006年には新設されたイトーヨーカ堂の代表取締役会長兼CEOをつとめ、2016年にはセブン&アイ・ホールディングの名誉顧問に就任しました。
セブン・イレブンが無かったらイトーヨーカ堂はとっくに潰れていたと言われていますから、鈴木敏文氏は天才的な経営手腕というのも納得します。
鈴木敏文の名言
鈴木敏文氏には名言もたくさんあります。
・常に顧客の立場で物事を考える。これが一番大事なのですが、顧客第一主義とか言うと、顧客はこういうものだという勘違いの思い違いをしがちです。
・美味しいもの程、人間は飽きてしまうものです。
・猛暑だから売れませんでした。とか暖冬だから売れませんでした。とかいう人は自分の無能さを言っているような物。
・我々の最大の競争相手は、目まぐるしく変化する顧客のニーズです。
同業他社なんかじゃないのです。
・昨日来たお客様と明日くるお客様とでは求める物が違います。
発注をするときに考えなければならないのは、明日来るお客様が何をもとめるかです。
・世の中の変化に経営者として必要な事は、なぜ変化したかをとことん考えることです。決して、過去の経験などに頼らない事です。
・過去を全部否定してみなさい。そうすればそこから始まるものです。
・人は、何かにしがみついたまま挑戦の為の一歩は踏み出せないものです。
踏み出したつもりでも前に進まないと思ったら、自分は何かにしがみついているのではないかと考えてください。
セブン・イレブンクーデター
そんなセブン・イレブンの生みの親の鈴木敏文氏が突然の引退をしました。
確かに、権力が一点に集中しすぎているのではないかという不満の声はありました。
周囲の反対を押し切って、セブン・イレブンやセブン銀行を始めて、大成功を収めていますから、ワンマン経営と言われながらも鈴木敏文氏の事をだれも抑えることができませんでした。
また、イトーヨーカ堂の創業者である伊藤雅俊氏が鈴木敏文氏に全任していたこともあります。
今の時代、いつまでもワンマン経営で帝王として君臨できる時代ではなく、株主への説明責任も無視できなくなってきた時代の変化もあるのでしょう。
でも、いちいち了解をとってから行動したのでは間に合わない鈴木敏文氏のスピード感のある経営方法が確かにどんどん難しくなっていたのもあるのかも知れません。
ですから「井坂ではこれ以上ダメだ。外そう」と井坂氏を退任させようとしても、周りは鈴木敏文氏の考えを理解できないのです。
実際に井坂氏7年の就任中の業績は悪くないので、株主や役員は納得しません。
鈴木敏文氏は井坂氏に将来の展望を明確に示すように要求しますが、期待する返答がありませんでした。
そこで、7年も社長を務めたのだからもう他に譲ってもいいだろうと社長交代の内示を出すのです。
井坂氏もその場では納得したものの、2日後には「自分は成果を上げてきた。納得出来ない」と反発してきたのです。
井坂氏の退任を図る取締役会に参加した15名のうち、賛成は7票に留まり、反対が6票、白紙が2票で、賛成が過半数に達しなかったので、鈴木敏文氏の井坂氏退陣案は否決となりました。
また、創業者の伊藤雅俊氏名誉会長からの承認の印も、急遽貰えない事となりました。
こんな事は50年以上一緒にやってきて信頼関係があったのにもかかわらず、初めての事でした。
事前に了解を得ていたのにです。まるで、いきなりハシゴを外されたような、クーデーターでも起きたような予測もしない出来事でした。
このまま鈴木敏文氏の言いなりにしていると、セブン&アイ・ホールディングス自体を乗っ取られるとでも誰かに言われたかのように。
とにかく、役員会の否決を受けて、不信なままでは経営に支障をきたすと考えて、鈴木敏文は自らの退陣を決意しました。
鈴木敏文氏の息子
今回のクーデーター裏には、鈴木敏文氏の息子の康弘氏を経営トップに就かせようとしているから反発を受けたとの噂もあります。
しかし、技術屋の息子に対してもそんな噂が出るのは自分の不徳の致すところだと鈴木敏文氏は言っています。
確かに、何の実績も無く康弘氏は出世して行ったと言われていましたから、こんな噂がでても確かに不徳の致すところとなるのかも知れません。
たとえ疚しいことはなくても、陰で噂される危険のあるようなことは極力排除するということが、組織で生きていくには重要で、細心の注意が必要です。
今回のこの父親の杉本宏之氏の退陣劇の後、康弘氏も自ら辞任しています。
鈴木敏文退陣後にセブン・イレブンに起きたこと
最強のコンビニとまで言われたセブン・イレブンが危機に瀕しています。
セブンイレブン24時間営業問題
大阪のオーナーが人手不足などの理由から本部に無断で時短営業に踏み切ったという騒動です。
セブン・イレブンは当初、訴訟も辞さないと強気でしたが、世論の反発に合い、各店のオーナーに任せるとの結論になりました。
そもそも、24時間営業はなにもセブン・イレブンだけではありません。
どこのコンビニも抱えている問題です。
それが、セブン・イレブンだけこんなに大きくなってしまったのには、本部の対応の在り方という問題もありました。
24時間営業の契約をしているのだから従わないと契約違反で訴えるぞという、上からの物言いで、現場の苦労を理解しようとしなかったとSNSなどでも言われてしまいました。
契約内容の非情さに言及されてしまう始末です。
おそらく心ある経営者であったなら現地に赴いて、一緒に解決策を考えたことでしょう。
コンビニのチェーン店はオーナーが稼いでくれるから成り立つのです。本部の利益のみを求めては、原点を忘れてしまっては、両者が理解しあえることはないでしょう。
7Pay問題は最悪の結末に
昨今のキャッシュレス時代到来で、セブン・イレブンも「7Pay」なるものを打ち出してきました。
2019年7月1日 「7Pay」スタートします。
2019年7月4日 セブン&アイ・ホールディングスは、緊急会見を実施し、「不正利用が発覚した」と発表しました。
この会見では、記者から「なぜ二段階認証にしなかったのか?」という質問を受けて、経営陣トップが「二段階認証って何?」というような無知ぶりも発覚。
記者に説明されるというお粗末さ。で、来季の株主総会はこの不始末を責められるのは確実となりました。
2019年7月30日に「7Pay」の不正利用問題から26日たってから、この日全部の7iDパスワードを一律リセットしたと発表。
これにより、セブン&アイ・ホールディングスの全会員のパスワードかせリセットされたことにより、所定の手続きで再設定しないと各種サービスが利用できなくなりました。
そして、最終的には「7Pay」のサービスは9月末で終了となりました。
不正利用されたお客様への対応が全て終わってもいないのに、先に全国のセブン・イレブンの店主に1万円分のクオカードを配布するということも発覚してしまいました。
対応の悪さもここまでくると気の毒にすらなってきます。最強だったセブン・イレブンは今のままでは心配で、ある意味目が離せません。
鈴木敏文氏の、最大の競争相手は同業他社ではない、という顧客のことを思った経営が必要なのだと思います。ネットビジネス、副業でも肝に銘じたいものです。
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