2019年12月にヤマダ電機は、大塚家具の第三者割当増資を引き受けて、子会社化したと発表しました。
出資額は約43億円となります。
大塚家具はヤマダ電機グループの傘下に入り、社長は創業家出身の大塚久美子氏がそのまま続投します。
2015年にお家騒動で揺れに揺れた大塚家具で、営業赤字は年間40億円を超え、資産の切り売りで急場をしのいできました。
ですが、売れる資産も枯渇してもはや倒産目前で、ヤマダ電機が親会社になって資本注入され、企業存続の道がどうにか開けたというわけです。
社長の大塚久美子氏は、ヤマダ電機会長の山田昇氏との記者会見の席で、平然と展望を語っていましたが、内心では「こんなはずでは無かった」と自分の誤算を悔やんでいることでしょう。
大塚家具のお家騒動の顛末と、今後の予想を含め、そこから何が学べるのかを探ってみました。
大塚久美子の生い立ちと経緯
1968年2月26日に大塚家具の1号店のあった、埼玉県春日部市に、大塚家具の創業者である大塚勝久の長女として生まれました。
1979年から大塚家具の本社を千代田区九段北に移したため、小学校6年生で千代田区麹町小学校に転校しました。
そして、本社と同じ九段北にある白百合学園の中学と高校を経て、1991年に一橋大学経済学部を卒業しています。
1991年、当時としてはまだ珍しかった女性の総合職の採用に積極的だった富士銀行(現在のみずほ銀行)に入行しました。
富士銀行では融資課を経て、1993年から企画係で国際広報などを担当しています。
最初の融資課では、そのころバブルがはじけて土地の価格が暴落していた時でしたから、融資というよりも回収の業務がメインでした。
そのころを大塚久美子氏本人はドジな銀行員で、書類の不備などで先輩方にも迷惑をかけたこともあったと語っています。
大塚家具入社
その後、国際広報などを担当していた時に、大塚家具の人事を通して大塚家具に入るように声が掛かったのです。
1994年ら大規模小売店舗立地法改正を受けて業容拡大を目指して大阪出店の計画も持ち上がっており、当時の社長であった父親が大阪への出張が多くなり、人手不足だったのです。
春日部の一号店の時代には、倉庫の片隅で遊んでいた時もありましたから、ほとんどの古参の社員の方は顔見知りでしたから、アットホームな感じでした。
ですが、上場もしましたから、いつまでもアットホームでいるのにも限界がありました。
確かに、ここまで会社を大きくした父の手腕は大したものです。
ですが、カリスマ性だけでは今後組織を引っ張って行くことは出来ません。
大塚久美子氏は、大企業に就職した経験がありますから、大塚家具が組織としての未成熟も改革しなければと思います。
組織改革
1996年から取締役に就任し、企業規模が急成長していく中で、経営企画部長、経理部長、営業管理部長、広報部長、商品本部長等を歴任し、個人商店のような組織からの脱却を目指し、各部門の仕組み作りを行いました。
それを後任に引き継ぎ、顧問の立場は残しながらも一旦大塚家具を退き、1年の休養を経て、2005年千代田区に広報・IRのコンサルティング会社である、株式会社クオリア・コンサルティングを設立しました。
そこで大塚久美子氏は代表取締役に就任、また大塚家の資産管理会社である株式会社ききょう企画代表取締役や、社団法人如水会の理事なども務めていました。
社長就任
そんな中、大塚家具でインサイダー取引の不祥事事件が起こります。
2006年に行った自社株取得がインサイダー取引にあたるとして、2007年に、証券取引等監視委員会から課徴金納付命令を受けたのです。
当初大塚家具に戻るつもりはなかったものの、その事件の処理をコンサルタントとして手伝い、その後の大塚家具の業績低迷を受けて、2009年に創業40周年を機に、大塚家具代表取締役社長に就任しました。
大塚家具のお家騒動
それからが、親子の対立になっていくのです。
父の勝久氏にしてみれば、インサイダー取引の事件で自分は事を収めるために一線を退く必要があったので娘を社長に据えたのです。
ですが、娘の大塚久美子氏はまるで父親の成功体験を否定するかのように、大胆に経営改革に着手していきます。
父の勝久氏の経営方法は「会員制」により顧客一人一人と密接に対応して高級家具を売って来たのですが、その会員制も廃止し、さらに「折り込みチラシ」により今までは業績を上げてきたのに、折り込みチラシも見直すと言うのです。
それには古参の幹部も黙っていません。
今まで、それらで会社を大きくしてきたのに、その方法を止めたりしたら売上げをどうやって稼ぐのだと、業績は落ちてきたのにも関わらず、古参の幹部は騒ぎ立てます。
大塚久美子氏は、その頃業績が落ちてきたのは、今までの営業方法では最近大頭してきている、「イケヤ」や「ニトリ」など低価格の家具店やインターネットによる通販が普及に押されてきたからだと考えました。
本来、父親の勝久氏は高級家具を中心にしていたのですから、低価格帯の家具と顧客は被りません。
ですから、父親の業態を残しつつ、低価格帯の部門も新たに開設すれば良かったのでは無いのかと、家具業界素人の私は考えてしまいます。
それが何故、父親の成功体験を全否定するような方法をとったのでしょうか。
ここでは大塚久美子氏の誤算というものがあったのではないでしょうか?
社長解任
2014年7月の取締役会で社長を解任されることになります。
記者会見で父の勝久氏は「娘を社長にしたことが間違いだった」と発言し、なんとか仲良くやれないものかと努力したのですが、聞き入れてもらえなかったとして、責任を感じていると言っていました。
経営方針で会長である父との間で対立があったと報じられ、大塚家具の親子対決は世間をざわつかせました。
社長復帰
2015年1月、今度は大塚久美子が、勝久社長兼会長に経営体制を一新するよう株主提案を検討し、同28日、大塚家具は大塚久美子の社長復帰と、勝久を会長専任とする人事を発表しました。
経営管理体制の強化のためと大塚家具は説明していましたが、2月13日に父の勝久氏の会長退任
は、勝久会長が業績悪化の責任をとって3月末の株主総会後に退くことが発表さました。
今後は、久美子社長が全権を握り、会員制を無くし、オープンな店舗運営を目指し、社外取締役を増やして経営の透明性を高めて行くとしたのです。
勝久氏が再任を画策
ですがここで今度は勝久氏が、2月17日に、自身の再任と、久美子社長の退任などを求める株主提案をしていたことが大塚家具から明らかにされました。
これについて、大塚家具は、「経営を再度混乱かつ不透明にさせ、企業価値・株主利益を毀損するもの」と反対の考えを示しました。
そして3月27日の株主総会では、この勝久会長の提出議案は否決されました。
そして、その後の取締役会で大塚久美子氏は、代表取締役社長に再任され、また、長弟大塚勝之前専務が務めていた営業本部長にも復帰ました。
父勝久氏の反乱
2016年4月に、父の勝久氏が、一族の資産管理会社である「ききょう企画」に15億円の社債返還を求めた訴訟では、ききょう企画側は、15億円を支払いを命じられました。
もちろん、父の勝久氏と大塚久美子氏との二人だけの戦いでは無かったのでしょう。
父の勝久氏には古参の幹部が付いていましたし、大塚久美子氏を支持する新しい勢力もあってのことなのでしょう。
なによりも大きな失敗は、親子の醜い争いとして企業イメージを大きく傷つけてしまった事です。
人は、家具を買う時に、「だんらん」「くつろぎ」などを求めますから、企業イメージの失墜は当然売上げにも響くでしょう。
父親の勝久氏は長男の勝之氏と共に「匠大塚株式会社」という別会社を立ち上げ、お家騒動は決裂したままです。
ちなみに2019年には、大塚久美子氏が家具業界団体「『スローファニチャー』の会」(4月27日付で設立)の発起人を務めたことに伴って、設立の前日(26日)に大塚久美子と父勝久はおよそ4年振りに再会しました。
その席で大塚久美子氏から同会名誉会長への就任を要請されたが、勝久氏は「(匠大塚の)創業時から協力を頂いているメーカーへの感謝の気持ちを大切にしたい」という理由で、翌5月に要請を固辞しました。
大塚久美子氏は、お家騒動もこれで和解にしたかったのですが失敗に終わります。
「山田家具化」で業績回復はあるのか?
親会社のヤマダ電機は直近の半期決算では業績回復を見せたものの、2019年3月期では、家電業界の中で「ひとり負け」の純利益50%減という決算を発表しています。
「アマゾンエフェクト」と呼ばれるインターネット通販からの悪影響を一番受けやすい「店舗型の家電販売」に依存しているビジネスモデルのもとで、この買収が吉と出るかが心配されています。
大塚家具もなんら業績の改善が見込めないままでの身売りであったため、前向きな分析はまず見かけません。
実際、ヤマダ電機にとって大塚家具の買収は、難しいチャレンジとなるとの見方が強いようです。
ですが、ヤマダ電機は直近の半期決算では業績回復を見せた理由はなんだったのでしょうか?
2020年3月期の半期の連結経営成績では売上高は前年同期比で6.3%増、純利益は(前年同期が悪すぎたので)実に9倍の150億円となって、半期決算の段階で昨年度の通年の純利益を上回っているのです。
それには2つの理由があるようです。
1つは昨年の業績悪化はヤマダ電機が構造改革を進める途中の「計画された悪化」だったとから。
ヤマダ電機の考えとしては「家電に依存するだけの事業構造では未来はない」として、家電分野の在庫を減らしながら、住宅関連事業の企業を買収するなどの構造改革を進めてきたのです。
そのために特別損失を出しながらの決算数字の悪化だったようですが、昨年の段階ではまだこれが純粋に構造改革によるものだったのかは不透明でした。
ヤマダ電機の前期の減益の理由は?
なぜ不透明かというと特別損失以外に営業利益でも前年対比で75%減益だったのです。
昨夏のエアコン商戦ではヤマダ電機は明らかに競合他社に売り上げで後れをとっていました。
構造改革に加えて本業においても大きな失敗をしていたことが重なっての去年の減益決算だったのです。
しかし2019年11月に発表した9月までの半期決算では、消費増税前の駆け込み需要でヤマダ電機は競合他社よりもいい成績を上げています。
今年はいよいよ成果が出せる状況へと変わってきたと見れるのかもしれません。
ヤマダ電機の事業部門別の業績で、住宅設備機器事業部の売上高が堅調に伸びていて、構造改革期だった昨年度で7.7%増、この上期も前期比5.1%増を記録して通年では売上高が1860億円近くまで見込めるようです。
これは、住宅設備部門はすでにヤマダ電機全体の売り上げの1割を超え、堅調に伸びている証だと言っても良いのではないでしょうか?
そこに今年から大塚家具が戦力として加わるわけですが、これをどうプラスにしていくかが問題です。
大塚家具という業態は、ヤマダ電機の山田昇会長が記者会見で説明したとおり粗利益率が高いという特徴がります。
ですから、確かに売り上げがある程度増えることで赤字から黒字に転換できるという期待はあります。
ヤマダ電機の販売力で大塚家具の売上げが、100億円積み増しされたとすれば大塚家具がヤマダ電機傘下に入ったことは成功と言えます。
ヤマダ電機の住宅事業部は1860億円の事業規模を持っていますから、決して不可能な数字ではないのかも知れません。
大塚家具は手痛い洗礼を浴びる可能性も
ヤマダ電機の傘下に入ったことで、大塚家具は手痛い洗礼を受ける可能性もあります。
ヤマダ電機の社風は経営目標を絶対に達成しなければならない厳しい社風があるのです。
結果が出せなければ、たとえ山田家出身の役員であったとしても、その地位に留まることはできないのです。
ましてや雇われ役員の退出や降格は日常茶飯事です。
大塚家具はそのような社風の企業グループの一員になったのです。
今までの様に、黒字化する経営計画を出しながら赤字の結果を出したりすれば、責任は免れなくなります。
大塚久美子社長のパワハラ
大塚久美子社長は、父親の勝久氏のカリスマ経営の中でのパワハラを嫌悪しながらも、いつしか自分も年上の幹部をパワハラするようになっていました。
「あなたバカなの?」などと年上の幹部に対して罵倒し、社員が離脱しているようです。
勝久氏のパワハラなら許せるけど、久美子社長のパワハラは許せないと言うのです。
勝久氏は、会社を大きくしたというカリスマ性がありますから、そういう一面があっても理解も出来るし、それでも一緒に苦労してきたからこれからも一緒に頑張りたいという気持ちになれたようです。
ですが、大塚久美子社長に罵倒されるのは訳が違います、苦労を重ね会社をここまで大きくしてきた人たちに敬意を払わずに、「あなたバカなの?」と言うような人間では、先が知れると見放して辞めて行くのも理解できます。
そんな大塚久美子社長がヤマダ電機の傘下に入って、もしかすると罵倒される側になるのかも知れないのです。
2020年は大塚家具にとってはヤマダ電機化の洗礼を受ける嵐の一年になることは逃れられないのかも知れません。
大塚久美子氏は「こんなはずではなかった」と、ここでも自らの誤算を嘆くことになるのかも知れないのです。
大塚久美子まとめ
幼いころより、父の経営する家具店の倉庫の片隅を遊び場にして育っていますから、良くも悪くも父の姿を見て育っています。
会社がどんどん大きくなっていくのを目にして、父に対する周りの評価も常に耳にしていたことでしょう。
社員に対しての厳しい姿勢を目にして、ワンマンで経営している父に対しての批判の気持ちも育ったのかもしれません。
それは、自分が大企業への就職という経験もして、父のやり方ではこの先は世間では通らないことも知ったのでしょう。
ですが、自分の思ったように大塚家具を変える為にとった手段が間違っていました。
「父親を蹴落とす」と見られてしまうという結果に世間は冷たい物でした。
結果的に業績は悪化し、もはや再建の目途が立たずにヤマダ電機の傘下に入ったというわけです。
父の興した「匠大塚」も決して業績が良いわけではありません。
このままでは、大塚久美子のせいで大塚家具は滅亡したという結果にもなりかねない程悪化してしまいました。
もともと、家具業界の業績悪化は何もイケヤやニトリのせいだけでなく、生活環境の変化が大きな要因だったのだと思います。
クローゼットが一般化して、タンスの需要は無くなりましたし、マンションが増えて、大きなダブルベットなどが搬入出来なくなったとか、色々あります。
日本人のほとんどの生活環境のスペースは狭く、家族環境も変わりますし、若い家族の年収も年々落ちていますから、低価格の家具の需要が伸びるのでしょう。
何とか、父と和解し親子が協力して再建していくという姿を見せる事が出来れば、また回復できる可能性はあると思いますが、大塚久美子氏がプライドを捨て、父の勝久が大きな懐を見せられるのかに掛かっているのかもしれません。
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