ニトリと言えば、国内家具業界のトップで、2019年2月期で、売上高6,081億円となり、経常利益を1,030億円も出しています。32期も連続しての増収増益という実績を上げている、 文字どおり日本一の家具チェーン店です。
似鳥昭雄氏の「私の履歴書」を読んで、こんな自分でもなんとかなるかもと勇気を貰った人もいるかと思います。成功者は後に続く者に勇気を与えなくてはなりません。
最近は、家具業界と言うと、大塚家具のお家騒動が世間を賑わせました。
高級家具を売る会社が、お家騒動なんて愚かな事で業績を悪化させて、すっかり昔からのお馴染みのお客様からの支持を失ってしまったようです。
だいたい、高級家具を買うお客様というのは、ビジネスなどで成功しお金のある方が多いです。ですから、「繁栄」を持続させていて、縁起を担いだり風水を見たりする方が多いのです。
そういう馴染みだったお客様は、大塚家具のことろ家具屋のくせにお家騒動なんてと冷めた目で見ています。
小売りで大きくなった会社はいくら儲かっても、お客様に儲かっている、自分のところはお金があるというのを見せてはいけません。お店との立場が逆転したようで、お客様が興ざめしてしまうのです。
その点でもニトリは違います。ニトリの似鳥昭夫氏の「私の履歴書」、資産と名言や妻、息子のことなどを紹介します。
ニトリ社長 似鳥昭雄の資産
ニトリの似鳥昭雄氏は実際には、Forbesの2018年の長者番付で9位の5030億円ですから物凄いお金持ちです。
それを知っても顧客が離れていくという事にはなりませんでした。
それは、日経新聞に連載した「私の履歴書」でも書かれている通り、貧しく苦労したという経歴を、まるでネタのように語ることで、支持をうけているというのも大きいようです。
テレビ出演の際にも気さくな人柄で笑顔とともに語られています。
ニトリ社長の似鳥昭夫 経歴と「私の履歴書」
日経新聞の「私の履歴書」でも連載されて有名になった似鳥昭雄氏の経歴ですが、
1944年に樺太で生まれ、終戦後の1947年に引き揚げて日本に戻って来て北海道の札幌市で育ちました。
引き揚げた者が暮らす長屋があって、100棟程の集まりで、1棟には8世帯づつ暮らしており、長屋の床は土間でトイレと炊事場を共同で使う掘立小屋のようなところでした。
その時代はみんな貧しかったのですが、似鳥昭雄氏の幼少期もとても貧しく、育ち盛りでしたから空腹に耐えられず「おかわり」と言うと父親に味噌汁を掛けられ殴られることもあったと言います。
父親には、月に一度は気絶するぐらい殴られたと言いますし、現在96歳になる母親からも日々鉄拳を食らっていたようです。
貧しい上に食糧難の時代でしたから、銀シャリなんかとても食べられなくて、稗・粟・麦を混ぜたご飯に家族全員で一匹のサンマがおかずだったという生活です。
食べる為に、なにしろ自分も働かなければ生きていけない時代で、父親は土木会社を興しそこで働いていましたが、母親はヤミ米を売ってなんとか暮らしているという生活でした。
それでよく「ヤミ屋」と言われ、イジメられていたとの事です。
似鳥昭雄氏が中学の時、母親の仕事を手伝いヤミ米の配達を自転車でしている時に、同級生に出くわして自転車もろとも川に突き落とされ、死にかけた経験もあったようです。
札幌市内の高校にはヤミ米一俵で裏口入学したと言いますが、イジメは続いていたようです。
体も大きくなって体力も俵を担いでいたので自信がありましたが、イジメに対抗して喧嘩をすると集団で襲われるので抵抗はしなかったのです。
そんなイジメの対処法として身に付けたのが、道化を演じて身をかわす方法だったといいます。
当時の同級生は似鳥昭雄氏の事をイジメられているという印象よりも、お調子者という印象が残っているようで、その時代でもイジメから逃れる為の苦労はあったのですね。
高校卒業後は札幌短期大学を経て、北海学園大学に編入しました。
アルバイト生活で生計を立てており、居酒屋を回って飲み代を回収できない「不良債権はないですか」と友人と回って、債権回収のかなりヤバい仕事もしていました。
不良債権の回収はかなりいいお金になるのですが、相手がそのスジの方の場合もあり、任侠映画をマネしてナイフで切られたこともあったとかで、その傷は今も残っているとのことです。
ビリヤードがかなり得意で、一般人相手に最初は負けておいて、後から勝ちをとったり、スマートボールでも稼ぎ過ぎて、出禁になってしまったり。
当然ですね、台を持ち上げて強引に穴にボールを入れていたのですから。あっ、これもちろん本人談ですよ。
大学卒業後は、とりあえず父親の経営するコンクリート会社に就職しましたが、どうもソリが合わず家出をしてしまいます。
それから職を転々として、どこに行っても失敗してクビになる毎日でした。
ニトリ社長 似鳥家具店の創業
そんなこんなで、自分の町に家具屋が無いことに目を付け、親兄弟から100万円の借金をして、23歳の時に「似鳥家具店」を創業しました。
競争相手が無いから食べて行けるだろうという考えで家具屋を選んだのです。創業当初の売り上げは月に40万円程でした。
それでも、何とか2店舗目を出せたと思ったら、近所に5倍程の大きな家具店が出来てしまって倒産の危機に。
ニトリ社長の妻、似鳥百百代さんの凄さ
そんな倒産の危機を救い、ニトリを成功に導いた内助の功を忘れてはいけません。
こわもての客の暴力にも屈せず、真っ向対決し根負けしたその客が、代金を自宅に取りに来いというので、行ってみるとドーベルマンを放し飼いにしているような家で、ビビッて帰らせる魂胆だった、ということがありました。
でも、妻の百百代さんはビビるどころか、犬に与えている生肉を見て「もったいない」と一言。
その時代はまだ肉は貴重でした。それを犬に与えるなんてもったいないと言ったわけです。
こわもてのその客もさすがにこれには「良い度胸をしているな」と代金を払っただけでなく、その後たびたび、親類縁者を紹介してくれるほどのお得意様になりました。
そのころ、まだ似鳥昭雄氏は仕事にたいして中途半端で、レジのお金を持って行ってパチンコをしたり、配達先の美人がいる家で長居をしたりして、これに怒り家を出るという奥さんに、土下座して謝ったりしたこともあったようです。
また、ある時一人の男性が訪ねてきて、似鳥昭雄氏が昔付き合っていた女性の父親だと名乗ります。
結婚を考えていたが、結局ひどい別れ方をしてしまった相手の父親です。その父親が一万円を出して、家財道具を一式売ってくれと言うのです。娘を傷つけたのだからそのぐらいしろと言う訳です。
事情を聴いた奥さんは、似鳥昭雄氏に「それはあなたの方が悪い」と言って家具を好きなだけ持ち帰ってもらいました。トラック1台分です。
1ヶ月の売り上げに当たりました。その時も土下座をしました。今後こずかいは無しということで許してもらいました。
ニトリ社長の転機はアメリカ訪問
1972年に家具業界向けのセミナーを受け、ロサンゼルスに研修旅行に行った時の事です。
当時のアメリカのチェーンストアは、全てのものが日本の3分の1の価格でした。
しかも、あらゆるものがデザインも色もコーディネイトされていて豊でした。
それを見て、日本の貧しさを実感し、日本人の生活をこんな風に豊かにしたいと思ったのです。
それまで、どこか仕事にも中途半端でしたが、人生が180°変わったといってもいいほどの衝撃でした。
それからは生まれ変わったように仕事をしました。
ニトリ3現主義 似鳥昭夫の成功術
アイデアもどんどん出して製品化していきました。
自分や身近な人の不平や不満が商品開発のアイデアになりました。
今でも、3現主義と言って「現場・現物・現実」を大事にして、工場にも店舗にも出向きます。
社長の似鳥昭雄氏が自ら出向くので、社員も良く動きます。
現場を直接見ることで、課題も生まれる。また解決方法も見えるというものです。
ニトリ社長 似鳥昭夫の経営計画
創業当初掲げた、30年計画を2段階に分けて設定し、最初の15年までの第一期計画は100店舗で1000億円でしたが1年遅れで達成。
現在は第二期に突入して、目標は3000店舗・3兆円ですが、10年ごとに3倍増にする計算で設定していまして、今は第2期の4年後の1000店舗1兆円に向かって動いています。
この目標の設定の仕方は、経営コンサルタントの渥美俊一氏の指導によるもので、「志」に感銘して心酔したといいます。
日本人の暮らしを豊かにするということを念頭において働いていれば、自然と儲けは後からついてきます。
不可能と思える目標も、目標を段階的に区切って「人・物・金」の逆算をしていけば、必ず実現できるというものです。
ニトリ社長 似鳥昭夫の経営方針
社員には2~3年でどんどん配転させて、経験したことのない仕事を経験させてみて、自分で気づかない才能を目覚めさせる。
社内での競争も推奨していて、同期でも報酬が大きく違う。給料では3倍以上。ボーナスでは7倍以上の差があります。
努力して結果を出した人が報われる会社にしました。
似鳥昭夫の名言 若いうちは自己投資
社内教育にも他の会社に比べて5倍は使っていると言います。
似鳥昭雄氏は言います「人が育てば自分が楽が出来ますから」(笑)
社員にも言っています。
「家を若いうちに買ってしまうと、ローンに追われて勉強どころではなくなります。若いうちは自己投資をして勉強して稼いで。50歳過ぎたら稼いだお金で豪邸を買いなさい」と。
ニトリ社長 似鳥昭雄のお家騒動
2007年に実は、似鳥昭雄氏は母親のみつ子さん始め、弟妹から父親の遺産相続の件で訴えられています。2013年に似鳥昭雄氏の勝訴となっていますが。
ですが、それさえも自分の武勇伝として「私の履歴書」として語るという姿勢が逆に、似鳥昭雄氏のエピソードに色を添えて面白くしています。
その後、「私の履歴書」の件でも母親からクレームが出ていますが、似鳥昭雄流の切り抜けを見てみたいものです。
ニトリ社長 似鳥昭夫は北海道の政商
私財を投じて、留学生の為の奨学基金を設けたり、社会貢献活動も活発に行っています。
また、北海学園大学同窓で新進党の元衆議院議員・長内順一を顧問として招聘したのをきっかけに中央政界や地元財界へ接近し影響力を強めました。
さらに安倍晋三の有力な支援者となっていて、北海道の政商と言われるまでに存在感を示しています。
ニトリ社長 似鳥昭雄の息子はニトリの社員ではない
似鳥昭雄氏には、息子と娘がいるのですが、息子の方は大手印刷会社勤務です。
「男は私情を挟むから、息子はニトリには入れない」というのが理由です。
娘さんはニトリで働いていますが、もし社内恋愛でもしたならニトリを辞めてもらう」と言っています。
後継者になるかも知れない人間が入ると、社内に派閥が出来ることを嫌っての事です。
ここらへんも大塚家具とは大きく違うところですね。
ニトリ社長 似鳥昭雄の今後
日本人の生活も昔に比べて大きく変化しています。生活環境においてもクローゼットが大半を占めてタンスの要らない生活に変わりました。
今後、さらに高齢化が進むと、圧倒的に布団よりベッドになるでしょう。家具の需要も大きく変化していきます。
今後の時代の変化にうまく対応できれば、ニトリはまだまだ伸びる可能性があります。
似鳥昭夫氏も自己投資の重要性を話しています。自己投資して勉強して稼ぐことが王道なのです。自分で稼げる力を付けるために惜しみなく自己投資していきましょう。
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