ラリー・エリソンという人物をご存知の日本人は割と少ないかも知れません。
世界の大富豪のランキングの上位にはいつも常連で、大手ビジネスソフトウェア企業オラクル・コーポレーションの創業者であり、元CEOであり、会長であり、CTO(最高技術責任者)です。
ラリーエリソンが創業したオラクル・コーポレーションは、ソフトウエア会社ではマイクロソフト社に次いで第2位の規模を誇り、総従業員数15万人を超える巨大企業です。
しかし、MicrosoftのWindowsや、AplleのIphoneのように一般の人向けのものでなく、法人向けのデータベース管理システムなどを開発している会社なので、一般の人にはあまり馴染みがないかも知れません。
この大富豪ラリー・エリソンが語った「人の夢では無く、自分の夢を叶えろ!」の他にも名言もあります。また京都に家を持つほどの親日家の一面もあります。そんなラリー・エリソンの名言から学べることとは?
ラリー・エリソンの生い立ち
本名はローレンス・ジョセフ・エリソン(Lawrence Joseph Ellison)
1944年8月17日生まれですから、現在74歳です。
ラリー・エリソンは19歳の未婚の母の元に産まれ、生後9ヵ月でシカゴに住む叔母の家に養子に出されます。養母となった叔母は愛情深く優しいが、養父は厳しかったと語っています。
彼の育った下位中間層では、医師になることがこれからの人生を切り開く一番の選択と考える傾向が強く、家族や教師からも強く勧められ止む無く医学部進学課程に進みました。
しかし、特に比較解剖学の授業については「精神的拷問以外の何物でもない不毛な時間」として、自分が医療の分野には向いていないと確信したと言います。
その当時は、周りの期待に応えることが出来ない自分は身勝手だと思ったようですが、それでも無理して自分を押し殺すことはやめることにしたようです。
イリノイ大学では科学部門において年間最優秀生徒となり表彰まで受けましたが、養母が亡くなったのをきっかけに精神的に落ち込み、大学も中退してしまいます。
そして、自分自身を探す旅にでます。
そこでネバダ州のヨセミテ渓谷の美しさに魅せられ、環境保護主義者になって、ガイドやロッククライミングのインストラクターとしての日々を楽しみながら、週に何日かは住まいを移したバークレーに戻って生活費を稼ぐ為にコンピュータープログラマーの仕事をしました。
彼にとってこの仕事は、「好きという訳ではないけれども、面白いし得意だった」と言っています。
難しい数学の問題を解いたり、強い相手とチェスをしているような達成感とやりがいが得られたと語っています。
こうして、自分のやりがいを感じる仕事をみつけたのですが、養父の賛成は得る事はできませんでした。
自分の理解者であった養母が亡くなっていたこともあったかも知れませんが、そのころにはもう自分が家族の期待に応えられないからと罪悪感を抱くことはなくなっていたと言い、二度と、家族の夢と自分の夢を混同することはありませんでした。
オラクル・コーポレーション創業
ラリー・エリソンは、後にシリコンバレーと呼ばれるサンノゼ北部の一角に企業が集まっており、そこにプログラミングの仕事があることを知り、AmpexやPrecision Instrumentsに勤務しました。
仕事には満足はしていたのですが、もっと夢中になれるソフトウェア・エンジニアリングの仕事を望むようになます。
そのような会社が無いのなら自分で作るしかないと考えオラクル・コーポレーションを創業したのです。
優秀なプログラマーを集めて、世間では常識外れで不可能と言われた、実用に耐えうるような高速性を備えたRDBS(リレーショナル・データベース・システム)の構築に取り組み、みんなで夢中になって働き、そしととうとうやり遂げました。
歴史に残る重要なテクノロジー製品を生み出しに成功したのです。
それはオラクル・データベース、情報化時代を動かす技術でした。
こうして、現在は世界に約15万人もの従業員を抱え、ビジネス顧客に向けてのソフトウェア・ハードウェアのサービスを提供する巨大テクノロジー起業として成長していったのです。
ラリー・エリソンの名言
南カルフォルニア大学(USC)の卒業生への演説で「こうであるべきという理想の人物像ではなく、本当の自分自身を見つけるチャンスは誰にでもあります。人の夢ではなく、自分自身の夢を叶えるチャンスがかならずあります」と語っています。
「自分がどのような仕事をしたいのか分からないのなら、自分が情熱を傾けられる仕事が見つかるまで必死に探すことです。何もしないことが一番のリスクなんです」とも言っています。
「変化し続ける世界で、私たちは、目標を見失わない事です。ムービングターゲット(移動する標的)のように目標は動いています。取り囲む環境も常に変化します。でも、挑戦することを恐れず、妨害にも怯むな」と語りました。
32歳まで何一つ成功できなかったと言う彼のことばには、焦ることは無い、チャンスは必ず来るという妙な安心感も貰えます。
また、別の機会に語った、ラリー・エリソンの名言もあります。いくつかご紹介しましょう。
・ビジネスでは、他の人と同じことをしていれば負けます。人とは違ったことを
しなければ前には進めないのです。
この言葉と同じような事を多くの成功者も言っています。成功者の発想の基本ですね。
・勝つということには中毒性があります。勝てば勝つほどもっと勝ちたいと思うのです。
日本では「勝ち癖」と言って、勝つことを癖にするのが成功の秘訣だとか。
勝ってばかりいると絶対に負けたくないとプライドも高くなります。
意地でも勝ってやると思うのが勝つ秘訣なのかも知れません。
・あらゆるものが不利な時こそ、成功の条件となるのです。
逆転勝利こそ劇的で印象に残る勝ち方はありません。
不利な条件が多い時ほど、勝った時に得るものは多い。
ピンチをチャンスに変えられなければ成功者とは言えないということなのでしょう。
ラリー・エリソンの私生活
ここで、彼をより理解するために私生活も少々ご紹介します。
目立ちたがり?
ラリー・エリソンは「アイアンマン」の公式スポンサーをオラクルコーポーレーションが務めていることもあり、劇中でメインのビルはオラクルのものだったりします。
また、彼も本人役で出演したりしてます。
目立ちたがりなのかと思いきや、制作会社のマーベルがオラクルのユーザーだからだそうです。
どちらかと言えば「悪役顔」(失礼)なのにいったいどんな登場をするのかちょっと見てみたくなりませんか?
京都に家も持っ大の親日家
日本旅行をきっかけに大の日本好きになり、カルフォルニア州のウッドサイドに桂離宮に着想を得たと言われる人口池と瓦屋根に縁側のある日本建築の様な家を建てています。
また京都府東山南禅寺近くの「何有荘」(かゆうそう)をおよそ80億円で購入していますが、これは旧稲畑勝太郎邸で、庭師七代目小川治兵衛(通称植治)作庭の日本庭園が有名です。
また、日本人や日本の文化のことを、「地球上で最も挑戦的でありながら、その反面最も洗練されているんだ。この矛盾する二つの側面を持っているんだ。それが日本なんだ。日本人を見るとわかるよ、信じられないほどの横柄だと思ったら、一転して度を越した謙虚になる。この相容れない矛盾した二つの要素が絶妙なバランスをで同居している。これこそわれわれが見習うべきところなんだよ。」と言っています。
確かに、私たち日本人は伝統や文化には絶対に譲れないものを持っていますから、そこに簡単に立ち入ろうとすれば遮ろうとしますから、そういう点は横柄に見えるかも知れません。
ですが、他人がどのような宗教や思想でも認めて受け入れるところや、自分にはない知識を学ぶ時には、謙虚な姿勢もとれる。教えていただくときには、年下の人が相手でも「師」として敬うことも出来る。
護るものは護る。譲るところは譲る。ここらへんのところを言っているように思います。
日本の良さを分かっていただいてありがとう。
ちなみにですが、大の寿司好きと言われるスティーブ・ジョブスに寿司の味を教えたのはラリー・エリソンだとも言われています。
ヨットレースに夢中!
2010年にはアメリカンズ・カップで悲願の優勝もしているほどのヨット好きで、仕事と同じぐらい夢中になれるものの一つのようです。
4度の離婚
4回結婚して、4回離婚しています。
これについては、まあ「運命の人」とはまだ出会えていないのでしょう。とだけ言っておきます。
ラリー・エリソンのお金の使い方
不動産業界では豪邸マニアとして有名で、豪邸を数十件世界中に保有しています。
自家用ジェット機も自分で操縦しますし、その関係でハワイの航空会社や島も買収しています。
豪快にお金を使いまくるラリー・エリソンですが、実は寄付にも多くの金額を投じています。
南カルフォルニア大学に癌治療の研究所設立の資金として2億ドルの寄付の他、寄付啓蒙運動の「ギビング・プレッジ」という、ビルゲイツ夫妻と投資家のウォーレン・バフェットが始めた活動にも参加しています。
自分の資産の半分以上を慈善活動に寄付をしますと宣言することで、富裕層が寄付することを促す活動の事です。
まあ、最近は世界の富裕層に世界中のお金が集まりすぎると問題にもなっていますから、こういう活動も自分たちの為にも必要なのでしょう。
何しろ死んだらお金はあの世に持っていけませんからね。
IT関連が大富豪を産む時代
それにしても、このラリー・エリソンも総資産500億ドル以上と言われ、一代で巨万の富を得た人ですから、やはりIT関連はすごいですね。
今の時代ならではの大富豪の象徴で、ITには大富豪を産むからくりがあるというか、商品を一つ売っていくら儲かるという世界ではなく、ソフトと言うか、仕組みを売ってそれに需要があったから沢山儲けることができたということです。
とても大富豪が生まれやすい良い時代だったと言えますね。これからまだまだ変革の波は荒く大きくなっていきます。次の波を捉えるのはもしかしたらあなたかもしれません。
「人の夢では無く、自分の夢を叶えろ!」
確かにその通りだと思います。
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