サイバーエージェントの藤田晋氏は時代に逆行して成功してきました。かなり前から時代の流れではなく本質を見つめてきたということです。
藤田晋氏は起業して21年を迎えた実業家です。自分の会社が21年持つって物凄く大変なことですよね。
インターネットバブルもその崩壊も経験して生き残れたのですから、並大抵ではありません。
しかも、崩壊寸前だった会社が乗り越えられたのは「終身雇用」にしたからだとか。今の世の中の動きとは真逆ですよね。なぜ、「終身雇用」にしたのか?
藤田晋の名言と総資産。それから元嫁と今の奥様それに藤田晋が大好きな麻雀の話など、藤田晋の話題をいろいろと紹介していきます。
藤田晋の経歴
1973年5月16日福井県鯖江市生まれ。
青山学院大学経営学部卒業後、人材派遣会社インテリジェンス(現在のパーソルキャリア)に勤務した後、1998年に株式会社サイバーエージェントを設立。
2000年の26歳で東証マザーズに史上最年少で上場を果たしました。
藤田晋の大学時代は麻雀漬けの毎日
まず、東京に行きたいという思いで青山学院大学に入学したのですが、本厚木にある校舎に辿り着く前に雀荘に捕まってしまうような日々だったようです。
藤田晋氏が言うには、麻雀はイメージ的には「不健康とか賭博」と考えている方が多いと思いますが、競技人口がとても多く、戦略性があって完成されたゲームで、学ぶところがたくさんあると。
将棋や囲碁とは違って、四人で競うので独特の面白さがありますね。
その麻雀に恩返しする意味で、現在「麻雀のMリーグ」というものを立ち上げて結構盛り上がっています。
藤田晋のアルバイト生活
麻雀の次に頑張ったのがアルバイトです。
起業のきっかけにもなった、そのころアルバイトしていたBARの先輩からの問いかけ「将来何かしたいことあるの?」で初めて将来を考えました。
それで、将来のためになることをしたいと考えて、インターンンシップでオックスプランニングというベンチャー企業に行きました。
その会社はみんなリクルート出身の4人でやっていた会社で、リクルート特有の人をやる気にさせることを第一にしている会社でした。
なにしろ社員の能力をいかに引き出すか、ばかりを考えている広告の会社でしたが「好きな事をやっていいよ」といつも言われていたので、自分なりに一生懸命考えて頑張っていたようです。
藤田晋はビジョナリーカンパニーに感銘
アルバイト生活をしている時にビジョナリーカンパニーという本と出合って起業を考えるようになりました。
当時、若い人の起業というと派手なイメージでちょっと成功するとすぐに「青年実業家」とか言ってメディアに取り上げられて、フェラーリ乗ってるとかお金いっぱい持ってるとかであまりカッコよくありませんでした。
でも、ビジョナリーカンパニーに書いてある会社とは「みんなで作る芸術作品で2度と同じものは作れない」という考えでした。
カリスマ経営者が作り上げるようなものでなく、みんなで作る作品だという考えに共感しました。
こういう会社なら、会社自体がずーっと社会貢献をする。
雇用を生み出し、収益を上げ続けるだろうからそんな会社ならいつか創りたい。
昔はミュージシャンになるのが夢でしたが、ビジョナリーカンパニーの本に出合ってからは、いつかは起業したいが夢になりました。
1997年22歳の時にUSENの宇野康秀社長が起業した、インテリジェンスという会社に入りました。
この会社もやはりリクルート出身者たちがリクルートの真似をして、事業内容も人材事業でしたし、やる気を引き出し育成することに力を入れていたので会社は成長しました。
でも、藤田晋氏は自分が起業したいという考えを捨てきれずに、会社を辞めたいと社長の宇野康秀氏に話します。
すると宇野康秀社長は「私が出資するから社長でやってみなさい」と言ってくれました。
サイバーエージェント設立とインターネットバブル崩壊の危機
創業したのは1998年24歳の時です。
1999年、時代はインターネットバブルになって株価急騰です。
創業してわずか2年で史上最年少で26歳の若さで上場も果たします。
ですが、2000年のインターネットバブル崩壊を迎え、窮地に立たされます。
株価はどんどん落ちます。
当然、株主には叩かれます。
「ビジョンが無い」とか言われて、従業員も大量に辞めて行きました。
会社と人との関係って非常に危うい関係なんだと思い知った時期でもありました。
実は、会社の売却も考えたのです。
それで、出資者の宇野康秀氏に買ってもらいたいと思ってその話をしましたら、あっさりと「いらない」と断られたのです。
売ることも出来ないで頭が真っ白になっていた時に、楽天の三木谷氏が出資してくれることになってなんとか存続できることになりました。
藤田晋、終身雇用します
1990年代のバブル崩壊後に日本的経営が良くないということで、世の中は「終身雇用」や「年功序列」を止めて行く流れになりました。
藤田晋氏も創業当時は、「うちは実力主義の会社です」と言って人材を集めていました。
ですから、インターネットバブル時代には大企業を辞めた人が大量に就職してきました。
まだ年功序列だった大企業に見切りをつけて、高給に引き寄せられて大量に人は集まりました。
それが、インターネットバブルが弾けた途端に、お金で採用した人はお金で去って行ったのです。
そういう人は、会社にお金の魅力がなくなったら辞めていきました。
それで、藤田晋氏が28歳の時だったのですが、今後の対策などを練るために1泊2日で役員の合宿を行ったのです。
人が大量に辞めて、会社の存続も厳しい時でしたので、将来の事を話すための合宿で、みんな思い思いの考えを話すための機会です。
それで色々と話した結果、日本はまだ「成果主義」に出来る風土になっていないのでは無いかという結論になりました。
「人を大事にしよう」ということで、短期の採用のイメージから長期で人が働ける「終身雇用」に変更して行ったのです。
福利厚生にも力を入れました。コストも高くつきました。
ですが、その方が結果的にむしろ安くなると考えたのです。
これが大きな転機となりました。
会社は社員を大事にしますと「終身雇用します」を前面に持ってきた結果、社員は一変します。
社員は自分が長くいる場所なんだから、もっと会社を良くしようと考えるようになったのです。
2004年の31歳の時にやっと黒字化したのです。
以前は、社員から経営陣に対して不信感もありましたが、今はそういう風潮はありません。
そのころアメーバブログもサービス開始しています。
2007年にはアメーバに注力し、アメーバ事業も2009年には黒字化しました。
2013年藤田晋氏が40歳の時にPCやガラケーから、スマホ向けサービスににシフトを切り替えて、その後2年で1000億円の売上げになりました。
2014年には東証一部へ変更しています。
このアメーバ事業の注力と、スマホにシフト転換した時は社運を懸ける大変な時でしたが、この時ばかりは藤田晋氏が陣頭指揮をとって成功させました。
この2つの転換が成功したおかげで、今のサイバーエージェントはあると言っても過言ではありません。
ネット業界は、様変わりが激しくて、常に自分達の居る位置があっているのかどうか不安になりますが、それを見誤らないために今でも合宿会議は続けられています。
藤田晋の名言
藤田晋氏は本もいくつか出していて名言は多いのですが、なるほど21年も続いたわけだと思う言葉が多くあります。
・憂鬱じゃなければ仕事じゃない。
・「結果でなくプロセスを評価して欲しい」と考えているなら、その人はどこに焦点を合わせて仕事をしているのでしょうか?
そういう人が結果を出したのを見たことがありません。
・企業に入ってから求められる忍耐力とは結果を出すまで頑張り通せるかどうかです。
・有望なベンチャー起業とは「高尚で壮大な志を挙げてはいても、実はやっていることは手堅い」というところです。
・夢を実現させる人とは、要するに忍耐強く理想と現実のギャップを埋めていける人の事です。
・未来の事を考えるその前に、自分の立ち位置や自分の強みをまず見つめることです。
・経営において「先見性」とはつまり「先送りしないで今することにある」と思います。
藤田晋の総資産
Forbesによると2019年3月の総資産は1170億円で、日本の長者番付でいくと42位です。
もともと金銭欲があまり無いと本人も言ってますし、自社株を公開後にはますます金銭欲が薄れたと言っています。
以前から藤田晋氏はいわゆる「ヒルズ族」と言われていましたが、実は再婚後の2009年まではまったくヒルズ族とは無関係だったというのも意外です。
藤田晋の元嫁(奥菜恵)と今の嫁
元嫁が女優の奥菜恵で、2004年の1月に結婚しましたが、翌年の7月には離婚していて、どうやら奥菜恵が斎藤工との不倫に加えて、藤田晋氏の不倫報道もあり、ダブル不倫報道で騒がせました。
一説には10億円の慰謝料を藤田晋氏が支払ったとも言われましたが、奥菜恵は否定しています。
現在の藤田晋氏の再婚相手は、元秘書のようで、仕事の苦労を理解してくれる方を選ばれたのでしょう。
藤田晋まとめ
Mリーグとか藤田晋氏の麻雀愛は凄いですね。麻雀と会社経営には共通する部分も多いと藤田晋氏は言っています。
自分一人で技術者の仕事と経営者、のように全体の流れを見る仕事と両方をこなさないといけない。
状況によって度胸が試されたり、自分のタイミングで勝負しないで、最高のタイミングが訪れるまで忍耐強く待つとかも必要だとか。
配られる牌は平等なわけではない、その中でどのように忍耐強く勝負していくかという点は正に経営そのものですね。
麻雀の最強戦に優勝する程麻雀に強いという事は、戦略を練るのに長けているのでしょう。
また、起業したいと思ったらUSENの宇野康秀氏が出資してくれたり、インターネットバブル崩壊で会社が窮地に陥ると、楽天の三木谷浩史氏が出資してくれたりとかなりの強運の持ち主でもあります。
そもそも、IT関連事業で21年間も存続出来たことも大変なことですね。
起業しては消えていく人たちを周りで目の当たりにしてきたことでしょう。
そして世の中は、またもう一度大きく変わろうとしています。
どんな一手で生き残っていくのか、藤田晋氏の打つ手には目が離せません。
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