有名人の名言

ワタミ渡邉美樹の名言から学ぶ成功とブラック企業認定の原因と理由

ワタミの渡邉美樹氏と言えば、一時期は急拡大して今後の成長が期待された企業でしたが、従業員の過労死によりブラック企業の1位になってしまいました。

一度はワタミから手を引いて、政界進出するも成果を出せず政界引退を発表し、再びワタミに戻ってきましたね。

業績が悪化し先行き不安もあり、ふたたび古巣に戻って力を発揮しようとしているのでしょう。

しかし何でこうもつまづいてしまったのでしょうか?

渡邉美樹氏の名言からつまづきの原因を探ってみたいと思います。

渡邉美樹の経歴

ニッポンの社長 ワタミ株式会社 渡邉美樹

1959年10月5日生まれで、神奈川県横浜市出身です。

野球大好き少年でしたが、渡邉美樹氏が10歳の時に最愛の母が36歳の若さで急逝してしまいます。慢性肝炎でした。

次いで、父親の会社も清算します。

父親はCMを制作する会社でしたが、テレビのカラー化への対応が遅れてしまったのが原因だったようです。

この相次いだ大きな出来事に10歳の渡邉美樹氏の心は追い付いていけずにふさぎ込んでしまいます。

母という拠り所を失い、相次いで父の仕事という生活の基盤を失ったという出来事は、子供心に大きな不安だったことでしょう。

卒業アルバムに「会社の社長になりたい」と将来の希望を書いていますから、その不安を打開したかったのでしょう。

中学に入ると、近所に住んでいた大学生が声を掛けてくれたことがきっかけで、キリスト教系の宗教の信者となり聖書を読みふける毎日を送りました。

母を亡くし、父は借金の返済に奔走してほとんど家にいないので、祖母と二人暮らしのような生活でした。

宗教に救われた気持ちになったのも理解できます。

ですがやがて、「信者以外に救われる道は無い」というキリスト教の教えに疑問を抱くようになり、中学卒業と同時に宗教とは決別します。

ですが聖書は今でも大事にしていて、そこからいつも学んでいるようです。

高校は神奈川県立希望が丘高等学校を卒業し、明治大学商学部に進学しました。

この大学時代にすでに「外食産業」で事業を興すことを決めていました。

それは、2回の大きな旅行がきっかけです。

一つは日本を一周した旅行。

もう一つは北半球を一周した旅行です。

この2回の大きな旅行を体験して、外食している人々の幸せな顔に各地で出会います。

外食って人々を幸せにするんだ。

この体験により外食産業を選びました。

また大学時代に「マネジメント能力」を身に付けておきたいと思い、大学の県人会の入会を思いつきます。

「横浜会」という伝統ある県人会で、たくさんのOBもいて人脈も出来ました。

そこで渡邉美樹氏は、この人脈を使って何か大きな企画をしたいと思います。

この横浜会は毎年コンサートを行っていて5000人も動員し、収益も110万円程上げていました。

この横浜会のコンサートをもっと大きくして、倍の1万人のコンサートにしようと計画します。

150人の学生を組織して、OBの人脈をフル活動し、結果1万2千人の動員を成功し、収益も870万円にもなりました。

収益は全て寄付金となりますから賞賛も受けたわけです。

この成功を皮切りに、明治大学の横浜会に留まらず6大学に呼びかけ連盟を創設して初代の委員長となり、700人の学生を束ねることとなり、イベントやコンサートを成功させました。

卒業後は、今は倒産して無くなっていますが、今のミロク情報サービスの親会社であった「ミロク経理」に入社します。

でも、このままでは起業は遠いと、「バランスシート」の見方を覚えて、半年だけ勤務してから辞めてしまいます。

その後起業の資金を作る為に佐川急便のセールスドライバーとして1年勤務して、300万円を貯めました。

その頃の佐川急便は、激務だけど稼げるという評判でしたから、なるほどというところです。

渡邉美樹 つぼ八が始まり

いよいよ1984年に有限会社渡美商事を設立して、経営不振の「つぼ八」を買い取りフランチャイズ店のオーナーになったのが始まりです。

まだ若干24歳です。

大学の成功体験もありましたし、若さとバイタリティーで大成功しました。

1992年にはつぼ八とのフランチャイズ契約を解除して、いよいよ自社の「和民」を立ち上げました。

和民のコンセプトは「豊かで楽しい、もうひとつの家庭の食卓」です。

大学時代の旅行で得た、「外食は人を幸せにする」というのを実現したわけですね。

そして1998年、38歳の若さで東証二部に上場し、2000年には東証一部への上場を果たしたのです。

これはもう「快進撃」としか言いようのない勢いでした。

1999年には外食産業の企業としては世界初となる、「ISO14001」まで取得します。

このISO14001とは、ISOという国際標準化機構が定めた、環境マネジメントシステムに関する国際規格のことです。ISO14001とは企業が環境に与える影響を管理し削減するシステムなのです。

このISO14001の取得基準はとても厳しく、また継続していくことは、外食産業のワタミにとっては大きな挑戦で、社会的にも有意義なことです。

CO2の削減や、食品廃棄物のリサイクルや森林保全の活動は今も続けています。

その後、外食事業としては、香港、上海、台湾まで進出し、老人ホームの運営など介護事業にも進出しました。

また、有機野菜などの農業や、酪農・畜産そして、環境事業など多岐に渡り、広がっていきます。

渡邉美樹 赤字転落 介護事業売却

事業の急成長で、渡邉美樹氏はまるで自分のやっていることが「正道」で、社会にある問題を解決する救世主になったような錯覚があったのかも知れません。

自分は成功したから、だから自分は正しいとなってしまう企業のトップは大勢います。

謙虚さを忘れてしまい、どうしてもパワハラ的になってしまうことに気が付かないし、カリスマのようになると周りも指摘しなくなるのです。

これがまずつまづきの大きな要因になります。

2005年には「ワタミ株式会社」と社名を変更し、世間からも更なる躍進を期待されました。

ですがその後徐々に、過労死などが問題化され「ブラック企業」という名前まで生まれました。

ワタミでも、2008年に女性従業員が過労により自殺したということもあり、過酷労働が問題視され「ブラック企業№1」の烙印を押されてしまうのです。

外食産業が次々と値下げを打ち出す中、ワタミもお客様の要望に応え値下げに踏み切りますが、そのしわ寄せは従業員の過労に繋がってしまったことは言うまでもありません。

従業員の過労死や自殺の際に、渡邉美樹氏がすぐに過労死を認めて謝罪しなかったのも、客離れの要因になったのかも知れません。

渡邉美樹氏は政界進出を目指し、2011年には都知事選に出馬しましたが、石原慎太郎や東国原英夫の強敵に敗れ3位で落選となります。

2013年には、第23回参議院選挙に立候補し、ワタミの役職を全て辞めて選挙に挑み、比例区で初当選を果たします。

その後、ワタミの業績が急降下し、2015年からは2年連続の赤字転落となり経営は悪化して行き、その後介護事業を売却することとなります。

渡邉美樹氏は、2019年に任期満了を機に政界引退を表明しました。ワタミの役員に復活して、再びワタミに力を注ぐ決心をします。

渡邉美樹の名言

渡邉美樹氏にはいくつもの名言があります。

曲解されて、本来の意味とは違う取り方をされる「迷言」と言われるような「名言」もいくつかあります。

「地球上で一番ありがとうを集めるグループになろう」と掲げて、100年以上存続する企業を目指しました。

この「ありがとう」という抽象的な言葉を使うと、無限の地獄で終わりがなくなると指摘されています。

365日24時間死ぬまで働きなさい。

もちろん、その通りの意味ではありません。そのような気持ちで働きなさいという意味ですが、ブラック企業と言われるようになってから度々このことばが引用されてしまいました。

労働を会社に貯金するような気持ちで働いて、会社に不可欠な人材だと思われるようになりなさい。

取りようによっては、会社の奴隷になれと言っているように思われてしまうようです。

「夢には日付を入れなさい」

期限を入れることで、計画的になり夢が実現するという方法で、渡邉美樹氏自身もその方法で成功してきたという言葉ですが、日付を入れて計画的にするということは、病気などで休んで計画通りに進まない事とかが許されなくなると指摘されています。

渡邉美樹まとめ

渡邉美樹氏は、幼い時に相次いで不幸が重なり、それをバネに大志を抱き無我夢中で働き、大成功を収めた人です。

つまづきが無ければ、「夢に日付を入れる」という言葉は、夢を実現させるための手段としてまさに「名言」です。

それが事業が急成長して社員の数も大幅に膨らみ、渡邉美樹氏の思いとは裏腹に「名言」が曲解されて独り歩きしてしまいました。

社会の問題を少しでも解決して、より良い世の中にしたいという思いも、政界に進出したことにも原因があるかも知れませんが、上げ足を取られてしまいました。

赤字により介護事業も手放す結果となってしまい、渡邉美樹氏本人も最近では、反省の弁がしきりです。

過労死のことでも、今になって「もっと早く謝罪すれば良かった」と言っています。

当時は、ワタミ側は法的責任は無いということで遺族と争う姿勢でしたが、世間から叩かれて2015年に一転して謝罪し、和解となっています。

渡邉美樹氏は、従業員の過労死に関して、世間に誤解の無いように、伝えたいことは伝えようと発言したことが、裏目に出てしまいました。

良かれと思って打った手が「悪手」となってつまづいてしまったのです。

世論とは怖いものです。

今までの、功績や善行などは無かったかのようにかき消されてしまいます。

世間の「過労死」に対しての批判は厳しく、電通の女性の新入社員の自殺に至っては、「働き方改革」の引き金にもなりました。

結果、残業代は減り家計は苦しくなるという我々にとっては本末転倒な社会の動き方になりました。

過労死さえも、日本の企業の「終身雇用からの脱却」に利用されてきたような印象さえあります。

また、今後渡邉美樹氏がワタミに復活して業績を復活できるのか?

安価な居酒屋のチェーン店が最近ではどうも時代遅れになってきたようで、世間の価値観も変わって来たようです。

この時代の変化を読み取り打開できるのか、本当に社員を幸せに出来るのか、どんな手を打つのかを注目していたいと思います。

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