不動産業界で最年少で上場を果たし、現在グループ会社7社。売上高200億円のシーラホールディングスの取締役会長の杉本宏之氏。貧乏のどん底から這い上がり失敗を重ねても、現在は巨万の富を得た成功者です。
ちなみに女優の深田恭子さんと噂になっている方です。失敗から這い上がってきた波乱万丈の壮絶人生から得た物とは何なのでしょうか?副業を考えているあなたにも参考になることがあるはずです。
杉本宏之の生い立ち
1977年茨城県守谷市生まれ。
父親が経営していた不動産会社が、経営方針に異を唱える専務が他の社員を引き連れて出て行き独立してしまいます。
これによって父親の会社は倒産。
その後、父親は不動産ブローカーとして働きますが、借金のみが増えて風呂無しアパートを転々と引っ越す生活を繰り返し、埼玉県から神奈川県に移ります。
小学校時代には給食費の支払いにも困るほどの貧乏生活。
8歳の時に大きな交通事故に遭遇して、半年も入院生活をし、その後もリハビリをして足は動くようになったものの、未だに左足の指は動きません。
父親の仕事は相変わらずで、母親がパートに出て生活を支えていました。そんな母親が杉本宏之氏が中学2年の時に倒れてしまいます。
診断の結果は、末期の胃がんで手の施しようもなく2か月後に他界。最愛の母を苦労の末に亡くしたことで、生活は荒れて行きます。
その後、生活保護を受けて暮らし、奨学金制度で川崎総合科高校に通います。そして、バイトを掛け持ちして、入ってきたお金は洋服を買ったりサーフィンをしたりの生活。
ある日、定職にも就かず生活保護のお金を使い果たした父親が、杉本宏之氏のバイト代を無心にきて大喧嘩しました。
激しい口論の末、取っ組み合いにまでなり、とうとう父親は台所から包丁を持ち出してきたのです。
「お前を刺して俺も死ぬ」という父、「やれるもんならやってみろ」と叫んだ時には、左手から真っ赤な血が滴り落ちました。
それを見た父親もやっと我に返り、震えながら涙目で茫然と立っています。
その時に切実に思ったのです。「この生活から抜け出さないと」初めて自分の将来を考えた時でした。
杉本宏之の経歴 父と同じ不動産業界の道へ
高校での成績はビリから2番目でしたが、その後必死で勉強しました。
大学進学を考えたのです。でも、よくよく考えたら「大学は長すぎる」
もっと早く仕事に就いて収入を得たいと思った杉本宏之氏は、大学ではなく専門学校へ進み、専門学校に入った年の10月には「宅建主任者資格」を取得します。
合格率15%と言われる難関です。その後、1997年に投資用ワンルームマンションの販売会社の東光マンションセンターに就職しました。
完全歩合性だったので誰よりも努力しました。人脈を作る為に毎晩が宴席でした。
その甲斐あって、3年目でトップセールスマンとなり、2000万円の年収にもなります。
ベンツのオープンカーに乗って、恵比寿のマンション暮らし。
銀座や六本木のクラブやキャバクラ通いに明け暮れ、100万もするロマネコンティを一気飲みしたこともあります。
今思えば、正気じゃなかったと思う。と杉本宏之氏は言います。
杉本宏之のエスグラントコーポレーション設立
その頃から、「独立しないか」と声を掛けてくれる方がいたのですが、仕事も順調で成果も出ていたので、中々踏み出せないでいました。
そんな時に、米同時多発テロが起きたのです。
杉本宏之も旅行でラスベガスにいて、タイミングがずれていたら自分もその便に乗っていたかも知れないと思い、人生を考えるようになりました。
したいことを先延ばしにしていると、この先どんなことがあるか分からない。後悔しないように今やろうという決心をしたのです。
そして2001年に株式会社エスグラントコーポレーションを立ち上げました。デザイナーズのワンルームマンションの不動産販売です。
最初のうちは仕事も無く、社員に払ったボーナスを社員自ら返納してくれた時もありました。
「苦しいのなら言ってください。困っているなら頼ってください」と社員に言われ感極まって涙したこともあります。
社員一丸となって次々と事業を展開していき、20代で100億円近い資産を手にしました。
2005年には業界史上最短で最年少の株式上場を果たします。
言動で注目を集めようと、パフォーマンス的な事もして、調子に乗って随分と無礼なこともしてきました。
しかし、2009年にリーマンショックのあおりを受けて、銀行がお金を貸し渋り、経営は破綻して400億円もの負債を抱え、民事再生法の適用となりました。
お金が無くなった途端に人は離れて行きました。
「片っ端から裏切られて、身から出た錆とは言え、参りました」と杉本宏之氏は当時のことを言っています。
でも、そんな時に味方になってくれた方とか、他に転職したのに戻って来て助けてくれた仲間がいて手を差し伸べてくれたのです。
また、民事再生法が報じられた時に最初に電話してきてくれたのが、ホリエモンこと堀江貴文氏です。
落ち込んでいる杉本宏之氏に「詐欺をした訳では無いのだから堂々としろ」と一喝してくれました。
「頑張った結果なんだから胸を張れ」と言ってくれたのです。
その後、野尻佳孝氏(テイクアンドギヴ・ニーズの創業者)からも「前を向いて頑張れ」と励ましの電話が入ります。
サイバーエージェントの藤田晋も救ってくれた一人です。
エスグラントコーポレーションの株を持っていたのですが、杉本宏之氏の復活を信じて株を売らないでくれたのです。
これらの大物たちの応援のお蔭で、再び裸一貫から這い上がる決心をします。
そして、仲間たちと2010年にシーラホールディングスを創業し、今度は無理の無い経営に心がけています。
利益は急激に伸びることはありませんが、今後再びリーマンショックのようなことが起きても生き残れるように、最悪のシナリオも想定して泥臭くてダサいことでもやり続けて、次の攻めの機会に備えていける経営方針で順調に業績を伸ばしています。
杉本宏之の名言
杉本宏之には、独特の哲学があって名言も面白いです。
・貧しかったので、最初は「金銭欲」で始まりました。車にマンションそして女性にもてたかった。その一心で頑張りました。
ですが、それを手に入れると次は「名誉欲」や「出世欲」に変わりました。
それから今は最後の欲で「還元欲」です。日本と言う国や社会に恩返しをしたくなったのです。
・採用の基準は「欲」のある人。それと「素直で謙虚」なところがバランスよくある人ですね。
最初はどんな欲でもいいんです。お金を儲けたいとか、女性にモテたいとか、出世したいとかなんでもいい。その欲が仕事の意欲に繋がるのですから。
・「欲」を持っている人は、もっと仕事ができるようになりたい、もっと成長したいと思いますから時間が足りなくなってきます。ですから、その時間の使い方が密になって、その結果仕事のスピードも上がるというわけです。
・仕事を始めたら最初の10年ぐらいは、仕事9割、遊び1割。そのぐらいでないと成長も出世もできません。
・人生に愛と感動以上の財産なし
・経営なんて辛い事が99%です。感動して楽しいなんて上っ面なことなんて言えません。それでも成長してこの国を盛り上げたい。
杉本宏之の離婚歴
杉本宏之には2度の離婚歴があります。
一度目の結婚は2005年に一般女性の美しい女性としていて、女の子の子供もいたようですが、400億円の負債を抱えてリーマンショックのあおりを受けて倒産した時期と離婚の時期が重なるようです。
杉本宏之氏も自分で語っていますが、未熟で仕事がうまくいかない事を理由に妻に怒鳴ったりして、妻が心配してくれているのにそれを拒絶し、とうとう妻から離婚を切り出されたようです。
会社も家族も失ってお酒に溺れた時期もあったようです。2度目の結婚は2011年に韓国人の人気女優のオセジヨンさん。
年上の美人ですが、最初はとても仲睦まじいと評判でしたが、杉本宏之氏の浮気を疑うようになり、2018年に離婚しています。
杉本宏之と深田恭子の関係
「深キョンに新たな恋人?」と報道された相手が、なんと杉本宏之氏です。
もともと、杉本宏之氏は深田恭子さんのファンだったとかですから、そりゃあきっかけさえあれば付き合いたいですよね。
一応、深田恭子さんの事務所は「食事をしたことはあるが、それ以上の関係ではない」と否定するコメントを出しています。
でも、西麻布のバーで密会の後に深田恭子の部屋にお泊りと報じられています。杉本宏之氏の3度目の結婚は深田恭子さんなのでしょうか。
はっきり言っておきますが、巨万の富を手にしたら、どんな男にでも女性たちは寄ってきます。杉本宏之氏ぐらいに見た目も良ければ、磁石のように美女が吸い付いてくるかもしれません。
やっぱり稼げるようになるって色んな意味で大事ですね。ですが、選ぶ女性によってかなり運命も変わりますので、女性を選ぶときには充分な注意が必要ですね。決して羨ましいからだけで言っているだけではありませんよ。
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