2024年に発行される新一万円紙幣に渋沢栄一(しぶさわ えいいち)の肖像が使われることになりましたが、どんな人かあなたは答えられますか?
子供に聞かれて答えられなかったら困るし、少しは知っておきたいですよね。大河ドラマ「青天を衝け」にもなる渋沢栄一の名言や功績、ちょっとした背景などを知っていればこどもに見直されるかもしれません。
2024年にはキャッシュレス化が進んでいて、現金を手にすることはあまりなくなるかも知れません。ですが、やっぱり現金が好きという人はいるし、必要ですのでしっかり残っていることでしょう。
その一万円札の顔が、昔だったら聖徳太子、今は福沢諭吉、そして2024年には渋沢栄一となるわけです。
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は渋沢栄一を題材にしています。
大河ドラマになることですし、子供にも聞かれるかも知れませんから、ある程度「渋沢栄一」のことは知っておこうと思って、名言と功績などをざっくりと調べてみました。
渋沢栄一の肖像が一万円紙幣に選ばれた理由
2024年発行の新一万円札の肖像に渋沢栄一氏が選ばれました。
実は、経済人では初の紙幣登場となります。
日本を代表する経済人ですし、初代紙幣頭つまり後の印刷局長として日本銀行券つまり紙幣の肖像としては候補として今まで何度も挙げられてきました。
ですが、当時は偽造防止の観点から、「髭のある人」が条件でした。
髭の無い渋沢栄一氏は採用されなかったのです。
1963年に発行の1000円札の候補には最終選考にまで残ったとのことで、この時のデザインは、東京北区王子にある「お札と切手の博物館」に展示されています。
後に偽造防止の技術が進んで、やっと女性の肖像とかも使えるようになったことから、今回渋沢栄一氏が使われることになりました。
大河ドラマ「青天を衝け」
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公は渋沢栄一の話です。
大森美香作で主演は吉沢亮で、青天を衝くかのような高い志を持って生きた男「渋沢栄一」を描いています。
脚本を手掛けた大森美香さんは、同じくNHKの連続テレビ小説「あさが来た」他多数の脚本を手掛けている方ですが、初の大河ドラマの脚本となります。
女性目線で幕末ドラマをどう描くのか興味が湧きます。
渋沢栄一の功績
渋沢栄一氏は確かに優れた実業家ですから経済人なのですが、社会貢献活動にも大変力を注いだ慈善家でもあります。
「日本の資本主義の父」とも呼ばれ、500近い会社の設立に尽力し、その中には今でも続いている会社がたくさんあります。
また、同時に約600もの社会公共事業にも関わっています。
ノーベル平和賞候補にも2度選ばれています。
実業家としては、第一国立銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)の頭取に就任し、その他、東京証券取引所、帝国ホテル、東京瓦斯、東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)、王子製紙(現在の日本製紙)、田園都市(現在の東急)、秩父セメント(現在の太平洋セメント)、秩父鉄道、京阪電気鉄道、麒麟麦酒(現在のキリンホールディング)、サッポロビール、東洋紡績他、500近くの会社設立に関わり多種多様な分野に広がっています。
渋沢栄一氏は実業界の中で、もっとも社会活動をしたと評価されていて、東京市からの依頼で養育院(現:東京都健康長寿医療センター)の院長をはじめ、東京慈恵会や日本赤十字社、癪(ハンセン病)予防協会の設立に関わりました。
また財団法人聖路加国際病院の初代理事長や、財団法人滝野川学園の初代理事長、YMCA環太平洋連絡会議の日本側議長も務めました。
関東大震災時には大震災善後会の副会長となって義援金集めに奔走しました。
教育の重要性も説き、現:一橋大学や現:東京経済大学他、二松学舎、国士館、同志社大学などの設立にも関わっています。
また女子の教育の必要性も考え、女子教育奨励会を設立し、日本女子大学校や東京女学館の設立にも関わっています。
日本国際児童親善会を設立して交流を深めることに尽力して、アメリカ人形の青い目の人形と日本人形として市松人形を交換しました。
渋沢栄一の名言
・「我が信念は、私利を追わず、公益を図ることとする」
・「富をなす根源は何かと言えば、それは仁義道徳である。
正しい道理の上での富でなければ、その富は完全に永続させることができない。」
・「事を成すと考えた時に、如何にすれば道理にかなうのかをまず考えるのである。
そうしてその道理にかなったやり方をして、国家社会の利益になるかを考え、さらにその上で自己のためにもなるかと考える。
そう考えみて、もしそれが自己のためにはならないが、道理にもかなっていて、国家社会の利益になるというなら、自分は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりです。」
・「たとえその事業が微々たるもので、利益が少額であろうとも、国家の必要な事業を合理的に経営しているのであれば、心は常に楽しんで仕事をすることが出来る」
・「自分が富を得れば得るほど、それは社会の助けを受けての事なのだから、その恩恵に報いるためにも、できるだけ社会の助けになることをしなければならない」
渋沢栄一の生い立ち
1840年3月16日(天保11年2月13日)~1931年(昭和6年)11月11日
武蔵国榛沢軍血洗島村、現在の深谷市血洗島に藍玉の製造販売と養蚕と農業を兼業している豪農の家に生まれました。
原料を仕入れて販売するという商業的な部分もあったので、そろばんをはじけることが大事な才覚とされていました。
渋沢栄一氏も14歳には一人で藍を仕入れに出掛けていましたから、その感覚が後の事業に役立ったようです。
豪農ですから農家ですが、5歳の頃から父親に本を与えられ勉強を始め、7歳には従兄の尾高惇忠の許に通って儒学や日本史を学んだり、剣術も大川平兵衛に神道無念流を学びました。
19歳には尾高惇忠の妹の千代と結婚しています。
1961年に江戸に出て、儒学や剣道を学んでいましたが、剣術の修行場で勤皇の志士の友達ができます。
その影響で尊王攘夷に目覚め、高崎城を乗っ取って武器を奪って、横浜を焼き討ちにするとか、その後長州と連携して幕府を倒すとかいう計画をたてます。
若い時にありがちな、正義心とか社会に対しての不満とかのエネルギーの発散なのでしょうが、その計画が実行されていたらその後の渋沢栄一氏はありませんでした。
妻千代の兄、惇忠の弟、尾高長七郎(従兄弟)が必死に止めて、懸命な説得により中止することになりました。
一橋慶喜との出会いとヨーロッパ訪問
ですが、親族に累が及ばないように、一応父から勘当されたという形にして京都に行きます。
そこで、江戸のころよりの知り合いであった一橋家の家臣である平岡円四郎の推挙で一橋慶喜(徳川慶喜)に仕える事になります。
1866年に主君の慶喜が将軍となり、渋沢栄一氏も幕臣となりました。
1867年、パリで行われた万国博覧会に慶喜の名代として出席した徳川昭武の随行員としてパリに同行しました。
フランスに渡り、万博の他ヨーロッパ各地を見て回りました。
それが渋沢栄一氏の人生を変える大きな経験となります。
各地の先進的な産業や軍備、それに社会を見て大きな衝撃を受けます。
各国訪問後、徳川昭武はパリ留学となり渋沢栄一氏も一緒にフランスに残っていましたが、日本は「大政奉還」となって新政府から帰国を命じられます。
1868年、マルセイユの港から帰国の途に就き、横浜港に帰国しました。
大蔵省時代から実業家へ
帰国後は、まず慶喜に面会します。
静岡で謹慎していた慶喜は、「これからはお前の道を生きなさい」との言葉を受けます。
それではということで、渋沢栄一氏はフランスで学んだ株式会社制度を実践したり、新政府からの拝借金の返済のために、静岡で商法会所を設立したりしていました。
すると大隈重信からお声が掛かり説得されて、大蔵省に入省することとなりました。
大蔵省の官僚としての仕事は民部省改正掛(当時、民部省と大蔵省は事実上統合されていた)を率いての改革案の企画立案を行いました。
度量衝(さまざまな物理量の測定単位)の制定や、国立銀行条例の制定に携わりました。
1872年には紙幣寮(独立行政法人国立印刷局)の頭に就任し、ドイツで印刷された明治通宝(通称ゲルマン紙幣)を取り扱いました。
その後、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立して、明治6年(1873年)に井上馨と共に退官しまた。
こうして渋沢栄一氏は今度は実業界に入って行くことになるわけです。
そして「日本の資本主義の父」とも呼ばれ、500近い会社の設立に尽力し、また、同時に約600もの社会公共事業にも関わっていきます。
渋沢栄一まとめ
人間の運命とは面白いものです。
尊王攘夷に目覚め、高崎城を乗っ取って武器を奪って、横浜を焼き討ちにするとか、その後、長州と連携して幕府を倒すとかいう計画をたてていましたが、これは今で言ったらテロですよね。
もし実行されていたなら、渋沢栄一氏の運命はそこで終わっていたかもしれません。
その後の渋沢栄一氏の功績も歴史には無くなっていました。
身内の説得に諦めて中止してくれて良かったです。
それから、今回はざっくりなのでまだ調べ尽くせていませんが不明な点もあります。
尊王攘夷に目覚めて幕府を倒そうとまで考えていた、渋沢栄一氏がなぜ徳川慶喜に仕えたのかです。
そこらへんの経緯は、徳川慶喜の方も併せて調べないとわかりませんが、
徳川慶喜の真意は今でも不明な部分が多いので深く掘り下げないと解らないかもしれません。
機会がありましたら「続き」としてお伝えします。
今回は、あくまでも「ざっくり」と調べただけでしたが、渋沢栄一のことがもっと深く知りたくなりました。
それと、大正5年に著した「論語と算盤」は、倫理と利益の両立を掲げて、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有して社会に還元することだと説いています。
論語と算盤は、今でも経済人のバイブルだと言われていますから、必読の書といえそうです。良かったら読んでみてください。
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