有名人の名言

楽天三木谷浩史社長 ADHDの問題児がファーストペンギンになれる理由

楽天の三木谷浩史氏は、Forbesの2019年の日本長者番付で5位の6670億円となっています。

ちなみに、1位がユニクロの柳井氏で2兆7670億円、2位が孫正義氏で2兆6670億円、3位がキーエンスの滝崎氏で2兆670億円、4位がサントリーの佐治信忠氏の1兆2000億円となってまして、この上位4人の資産は兆を越して間を空けられています。

でも、2018年の三木谷浩史氏の資産は5660億円でしたから、順調に伸ばしています。

それはともかく、楽天の三木谷浩史氏は「通信に革命をおこす」として、2019年10月には、携帯電話事業の参入がいよいよ始まります。

携帯電話による通信費の出費は、家計の負担となっているのが現状ですが、これに殴り込みをかけて壊すとの意気込みです。

リスクを顧みず、海に飛び込むまさに「ファーストペンギン」ではないでしょうか。

通信費は家計の負担が高くても、生活には必需品で手放せない世の中ですので、どう改革してくれるのか期待したいところです。

この楽天の三木谷浩史氏は、身長は181㎝、奥様は上智大学卒のエリートで銀行時代の1年後輩の三木谷晴子さんです。

息子さんも1人いて、松濤に30億円と言われる豪邸も完成しました。

何もかも手に入れていて羨ましい限りですが、実は三木谷浩史氏はADHD(注意欠如・多動性障害)の傾向であると本人も認めています。

それが原因だったのか、中学の時にはスパルタ式の校風が合わずにノイローゼに掛かり2年生で退学して、転校しています。

そんな三木谷浩史氏がファーストペンギン(群れで行動するペンギンの中から、危険を顧みず餌を求めて真っ先に海に飛び込むペンギンの事)となり成功を掴んだ方法とは?を名言とともに探ってみました。

三木谷浩史の経歴

日経トレンド 楽天

1965年3月11日兵庫県神戸市出身です。

楽天の創業者として有名ですが、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの会長兼球団オーナーやJリーグ・ヴィッセル神戸のオーナーもやってます。

その他、楽天ブックスの会長や2019年東京オリンピックの大会組織委員会の顧問も務め、東京フィルハーモニー交響楽団の理事長もやっていますから、スポーツや音楽などを通して、社会貢献していて慈善家としても活躍しています。

父親が神戸大学の名誉教授だった方ですから、DNAが良いと言ってしまえばそれまでです。

確かに内祖母の先祖に徳川家康の側近の本多忠勝がいたり、高祖父にあたる本多忠明は山崎藩主を務めています。

6歳までは、父親が神戸大学の教授だったので、神戸市垂水区の職員住宅に住んでいましたが、7歳の時に父親がアメリカのイェール大学の研究員に就任したために2年間渡米しました。

その2年間で、何事も考えて納得してから行動する、というクセがついたと三木谷浩史氏は言っています。

もう一つクセになったのは、脳みその使い方です。

算数の公式を暗記して答えを出すのではなく、自分で解き方をひたすら考えて答えを導き出すという勉強の仕方です。

帰国後は、明石市立松が丘小学校へ転入し、中学は実家から離れ、岡山県の岡山白陵中学校での寮生活を始めます。

ですが、この中学時代は地獄でした。

スパルタ教育のためにノイローゼになって2年生で退学して、明石市の市立朝霞中学校へ転向しました。

たぶん、このころすでにADHDの傾向が出ていたのなら、授業中にじっと集中して先生の話を聞くとかは苦手だったはずです。

そのころはまだADHDに対する世間的な理解も薄かったので、中学生にはかなり酷だったと思います。

今では、ADHDはだいぶ理解されて、普通のひとよりもIQが高い人も多く、成功を掴んだ人や有名人に多いことでも知られています。

興味を持ったことへの集中力は凄いのですが、興味を持たないことは一切やらないなどの特徴が人によってはありますから、普通の社会に入っての団体生活はお互いに苦痛となってしまうことがあります。

三木谷浩史も中学のノイローゼの経験をバネにしてその後、奮起できたと言っていますので、今になってみれば必要な経験だったのでしょう。

というか、経験をどう捉えるか、ネガティブに捉えるのか、この経験があったから今の自分かあると考えられるのかです。

高校は兵庫県立明石高等学校に行き、テニス部ではキャプテンを務め、この経験が将来のリーダーシップの原点となりました。

テニス部の新入生と言えば「球拾い」が定番ですが、三木谷浩史氏はその習慣を止めさせました。

球拾いではテニスが上手くなることは無い。球拾いは各自がやるべきだとしたのです。

高校時代に、予備校神戸セミナーの経営者であった村上雄蔵の英語塾に在籍していました。

その後、1年浪人して一橋大学商学部に入学し、1988年に卒業。

社会人の第一歩は、日本興業銀行(今のみずほ銀行)に入ります。

名古屋支店から始まり、本店外国為替部に配属になり、1991年に銀行の1年後輩であった三木谷晴子さんと結婚されました。

同じく1991年に社費でハーバード大学へ留学となり、1993年にMBAを取得し帰国となります。

この時のアメリカでの生活で、起業家を志すようになるのですが、それはアメリカ生活での価値観から来るものでした。

官庁の役人とか大企業の役員とかになったのでは「成功者」とは言わない。

アメリカでは何も無いゼロからの出発で、ビジネスを成功させた人を高く評価していたのです。

ですから、自分もいずれ起業したいとは思いましたが、社費でアメリカまで来させてもらったのだから、5年はいなくてはと思っていました。

帰国してからは、MBAを取得していますので、企業金融開発部で国際的なM&Aの斡旋が主な業務で、ソフトバンクの孫正義氏やTSUTAYAの増田宗昭氏も顧客だったようです。

阪神淡路大震災が人生観を変える

そして2年後の1995年1月17日に、あの「阪神淡路大震災」が発生します。

犠牲者6434人、最大震度6、M7.3で、この地震は九州から東北地方南部まで揺れたのです。
三木谷浩史氏の故郷の神戸も焼け野原になりました。

そして、大好きだった叔父と叔母を失います。

この震災の衝撃が人生観を変えました。人の命というものはなんと儚いことか。

確実に自分の人生にも終わりがやってくる。おいそれと時期を待っていていいのか?躊躇している場合なのか?

三木谷浩史氏は起業を決心します。

1995年11月に日本興業銀行を辞めて、コンサルティング会社の「クリムゾングループを設立しました。

慶大院卒の新卒者である本城愼之助とたった二人だけの起業でした。

震災の体験が無かったら、中々大きな組織から出て起業するなんてリスクの大きいことは考えなかったでしょう。

そして1997年にクリムゾングループで稼いだ6000万円を元手として、株式会社エム・ディー・エム(現在の楽天)の設立となりました。

2002年には3000億円に近い資産を手にして、アメリカの雑誌「フォーチュン」で若手富豪ランキングの6位に選ばれています。

現在の目標は、Eコマースの分野で世界一になること。

当面のライバルであるAmazonやeBayそしてアリババを抜くことです。

それには、まず収益の半分以上を海外で得なければなりません。

それには、もっともっと改善していかないとならないと三木谷浩史氏は語っています。

三木谷浩の名言

ファーストペンギンの三木谷浩史氏も、がむしゃらに飛び込むだけではありません。

・起業して成長するなら「常に改善を繰り返せる仕組みづくり」が重要

・世の中を動かすのは起業家です。実業界がイノベーションを起こし、経済を牽引していくのです。官僚が経済をコントロールする社会は必ず潰れます。

・大切なのは、創業時から「大義」を考えて、「社会にどんな価値を提供するのか」をよく考えることです。

・リスクを恐れず破壊者となって通信事業に革命を起こす!

・ADHDと認めつつも「頭の構造が他の人と少しだけ違うだけの事。」

三木谷浩まとめ

ADHDという「注意欠如・多動性障害」が世の中に理解されて来たのはまだ最近のことです。

昔から、授業に集中できない児童はクラスに1人くらいはいたものです。

授業に集中できずに、教師の立場からは「邪魔者」扱いされ、辛い子供時代を送った人も多いと言います。

三木谷浩史氏が自分自身もADHDの傾向にあったと認めたことは、同じ障害を持つ人やその家族にとっては大きな希望になるでしょう。

三木谷浩史氏に関しての本で、山川健一著の「問題児」では、中学から喫煙、パチンコ・麻雀・競馬をして成績が悪かったとありますが、理解されない辛さに苦しみで荒れたのでしょうか。

ADHDは他の人と同じように枠に閉じ込めてはおけないのです。

興味の湧かないことには集中できないのですから。

三木谷浩史氏の場合は、問題児の時もあったのですが、そのうちに家族から理解され、祖父にとりわけ愛され、次第に自分も祖父と同じ一橋大に入りたいと思うようになり、結果人生の大成功を掴みました。

中学時代の挫折を経て、その後は日本興業銀行に入社してハーバード大学に留学までさせてもらっていますから、ADHDの傾向を認めつつも、うまく社会で生活が出来るようにご自分でも苦労したのでしょう。

今でも、興味がない話題になると大あくびをしたりして、無礼なやつだと悪く思われてしまう事もあります。

さぞや周りは苦労するでしょう。

ですが、三木谷浩史氏は躊躇せず「ファーストペンギン」になって海に飛び込み、みんなを引っ張っていってくれる強さもあります。

別にそのことに関して、「勇気を振り絞って」ということでもないのです。

別に自分の事を理解できない人に無理に理解してもらおうとは思わない。「自分は自分」の自己肯定は見事です。はみ出ていても良いんだ。外れていても良いんだ。

自分だってファーストペンギンになれるんだ。そんな希望を抱かせてくれるのが三木谷浩史です。

まず、自分が本当に望むことを明確にし、行動してみることですね。副業でも何があなたの特性に合っているかは、実際のところやってみないと分からないものです。

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